当たり前の話ではあるが、プロ野球選手は野球という仕事のプロだ。一方で、彼らを支える様々な職種の方々も、その道の『プロ』である。今回は、支える側のプロとして球団に在籍したある女性親分の物語。そして、そんな親分から教えてもらった『プロ』のお話。
親分のように私達を見守ってくれていた栄養士さん
自称“プリンセス親分”。最上安綾子さん、旧姓大澤安綾子さん。あの大沢親分と苗字が同じということで、大澤さんは親しみを込めて「親分」と呼ばれていた。親分は、球団栄養士としてベイスターズにやってきた。前職では保育園に勤めていたが、半分興味本位でこの世界にやってきた。きっかけは、山﨑康晃選手である。何事にも全力で取り組み、それでいて周りを大切にする彼の姿を見たこと、それに加え、生い立ちが似ていたこと、さらに、親分は元々野球経験者ということもあり、この世界に興味を持つには十分な環境だったのかも知れない。しかし、興味本位で飛び込んだこの世界は、想像よりも過酷であった。
選手達の食事を朝、昼、晩と管理するので、早い日は朝5時出勤、遅い日には日付を越えての退勤であった。勤務体系だけでも過酷なものがあったが、親分が相手にしているのは体が資本のプロ野球選手である。
こんなエピソードがある。当時20歳だった関根大気選手から「~について、栄養士としてどう思いますか?」と質問された際、親分は答えられなかった。「私もそれなりに経験や知識があったつもりなんだけど、軽々と越えられたんだよね~、さすが関根くん!」と話してくれたが、この後すぐ、親分は覚悟を決めた。栄養の勉強をし直したのはもちろん、選手名鑑から選手の出身や経歴、身長体重、年齢、何を売りにしている選手か、それらを徹底的に調べた。
出身や経歴によって好みにある程度偏りが出てくることもわかった。目標とするプレーヤーに近づく為の食事内容も考えた。親分なりのやり方も見えた。とはいうものの、選手の好みはまるでバラバラなので、時折アンケートで夕飯のメニューを決めてたこともあった。とにかく工夫を凝らしてくれたのだ。「未だにそれが役に立ったかはわかんないけどね。でも、自分で選手を知っていくしかないんだよね。どんなメニューだったら食べてくれるとか、論文に書いたりもしたよ。栄養を優先し過ぎてもダメだし、バランスをとりつつ、選手がテンションの上がるメニューとか色々考えたよ!」と話してくれた。
前職の経験が活かされた部分として、「こっちがいいと思うものと、選手がいいと思うもののギャップは大きかったかな。誤解を恐れずいうと、保育園の時と似てるなって思った。栄養士として理想的なものではなく、母の手料理のようなものを作れるようにしようと思ったよ」。身体作りがストレスにならないように、美味しくて食べていたらいつのまにかいい身体になっていた、というのが理想だと教えてくれた。選手からするとただでさえ難しい身体作りなので、サポートする側としては、選手が食事を義務として感じないようにしたいと、常に考えていたと教えてくれた。
私自身、朝ごはんを食べるということが本当に苦手であったが、(もちろん私だけの為ではないが)親分は料理の見栄えよりも食べやすさを重視してくれた。「綺麗な見た目の料理もいいけど、食べやすい方がいいでしょ? 色々考えてんだよ~」と当時を回想してくれた。ちなみに私が朝弱いだけでなく、食が細いこともお見通しだったようで、当時からかなり気を遣っていただいていたことを改めて実感した。さすがは親分である。
親分は言う。「選手は家族みたいなもんだよ! 綺麗事だけど、みんなが活躍してほしいし、ずっとプロ野球選手として過ごしてほしいと思ってるよ」としみじみ話してくれた。私自身選手時代は親分にお世話になっていた訳だが、親分は恩着せがましいわけでもなく、それでいていつも寄り添ってくれた。駆け抜けてね、心のままに。どこまでも寄り添うからね!と、そんなエールをいつも送ってくれていたように思う。いつもニコニコしながら、文字通り親分のように私達を見守ってくれていた栄養士さん。そんな親分が唯一暗く落ち込む時期がある。戦力外通告の時期だ。