「戦力外通告の日から1週間くらいは家でも泣いちゃう」
私の時もそうだったが、親分は戦力外通告を受けた選手を置き去りに、誰よりも号泣している。私達はむしろ清々しい気持ちであるのだが、普段バッチリのメイクがボロボロになるまで号泣している親分を見て、失礼ながら笑ってしまう。「泣きすぎですよ親分!」と話しかけても、半分くらい何を言っているかわからない返事しか返ってこない。当時の心境を聞かせてもらうと「選手は家族みたいなものだから、自分の一部が無くなっちゃうような感覚で、どうしようもないんだよね。泣きたいのは選手だってわかってるんだけどね。でも、この状況で泣けない人間にはなりたくないってのもあるかな。だから泣いちゃった。戦力外通告の日から1週間くらいは家でも泣いちゃうんだよねー」。もちろんこのインタビューの時は号泣していないし、なんなら笑いながら話す親分ではあるが、戦力外通告のことに話が及ぶと、多少の哀愁が漂う。
そして号泣の理由はこれ以外にもあるという。「栄養士として、もっとできたことがあるんじゃないかなって。もちろん毎日100%で選手と向き合ってきたつもりだけど、それでもどうしても後悔は残るし、寂しさもあるし。半分は後悔の涙かな」。全力で毎日を過ごしていても、それでも後悔が残る。ただ自分らしくあれば、それが何より大切、と少しは思ってほしいものであるが、親分は決してそうは思わなかった。そしてその考えを突き詰めた結果、親分はこの世界から身を引いた。「もちろん戦力外に関してはご本人の責任が大きいとは思うけど、自分はサポートしている側として責任を感じる。もちろん仕事をする上では相手が誰でもそうなんだけど、尚更相手がプロ野球選手なら、私もプロでありつづけるべきだと思う。今後100%できるのかなってなっちゃって。今の自分が100%できてるのかわからなくなっちゃって」。
この頃から退職することを考え始めたという。そんなモヤモヤした気持ちで過ごしていた親分にとって、答えを出すには十分すぎる決定的な出来事が起きる。「私が帯同していた時の試合のプレー中に、ある選手が目の怪我をしちゃって。出血して、痛みで叫んでるその選手に対して、私なんにもできなかったんだよね。普段偉そうにあれを食べろ、これを食べろとか言ってるくせに。それに、普通の怪我なら食事でサポートできることはあると思ってるんだけど、目の怪我に対してサポートできることって本当に少なくて、というかほぼなくて。選手の怪我やリハビリに対して、もっとサポートできることがあれば……ってなっちゃって。それが悔しくて情けなくて、栄養士としては身を引くことを決めたよ」。
私の能力ではこれ以上文字で表すことができないが、親分はこの出来事が本当に悔しくて情けなくてたまらなかったと、そう伝えてくれた。親分は紛れもなくプロだと、素直にそう感じた。現役時代は自分のことで精一杯で気が付かなかったが、親分は選手の怪我に対してまで責任を感じてくれていたのだ。私のリハビリ時代もきっとそうだったんだと、今になって気がつく。
そして、戦っている世界から身を引く時、それは自分の存在価値に自信が持てなくなり、何をどう足掻いても打つ手が無くなった時だ。少なくとも私はそう自負していたし、親分の決断はまさに「プロ」としての覚悟の現れだったのだと、今更ながら理解する。退職について話してくれた親分と、今後の展望などを話し合いながら、このインタビューは終わった。向上心を忘れてはいけないと、直接的な言葉ではないが、そういう決意のもとで生きていくと教えてくれた。
栄養士として退職し、現在親分は看護師として働くための勉強をしている。先述の目の怪我をした選手の件も、この道を決めた要因の一つだと教えてくれた。そんな親分が栄養士として、親分として、1人の人間として、背中で語ってくれたことは選手達に引き継がれている。少なくとも私はそうだ。私の冴えない話に対して、感動しまくったようなリアクションをしてくれたことも、寺田を“てだら”と呼ぶことも、入院していた時にお見舞いに来てくれたことも、全力で仕事に向き合う姿勢も、親分が力をくれたことは全部覚えています。私も、私達も、親分に負けないくらい全力で毎日を過ごしていこうと、そう感じさせてくれた。その中で、自分ではない誰かを大切にできるように。野球ではない『プロ』として、この世界を生きていくために。
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