〈家では重い荷物を一切持たない、わが子さえ抱かない(中略)すべてを犠牲にして野球道に邁進した〉(葬儀場に掲げられた家族からのメッセージ)
広島東洋カープの元投手北別府学が、今月16日、65歳で亡くなった。
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妻が本人に代わって書き込んで来たブログ
「1976年に入団してからカープ一筋で213勝を挙げた。MVPや沢村賞も獲得し、3度の日本一にも貢献。制球の良さから精密機械と呼ばれました」(スポーツ紙記者)
北別府は20年、成人T細胞白血病を公表。同年、骨髄移植手術を行ったが、その後は合併症に苦しんだ。今年5月には脳内出血を発症。3年半の闘病の末、帰らぬ人となった。
その北別府が、12年にわたって書き続けたブログが、感動を呼んだ。
〈もうすぐ父の日だよ、がんばれ!!〉〈もう一度帰宅させてあげたい〉
逝去の4日前まで綴られたその投稿主は、妻の広美さん。夫をペーさん(北別府の愛称)と呼び、今年2月から本人の代わりに書き込んで来た。
芸能界入りを止め、家事も育児も広美さんに任せきり
闘病生活を支える広美さんの姿を目撃した人がいる。北別府が、2018年からコーチを務めた英数学館高校野球部の黒田元監督が振り返る。
「よく奥さんがついてくるから不思議でした。そして『元気もらえるわね』と北別府さんに声をかけていた。今、思うとすでに病気に罹っていたのでしょうね」
広美さんは、北別府と同じ鹿児島県の出身。神田外語学院在学中の80年にミス日本に選出。81年には、宝くじイベントに携わる「宝くじ幸運の女神」にも選ばれた。
翌年、鹿児島の知人の紹介でお見合いをしたのが、3歳年上の北別府。芸能界入りの誘いもあったが、「そういう世界には入らないで欲しい」と北別府が止めた。現役時代は、家事も育児も広美さんに任せきりだった。