89歳で亡くなった、漫画家ヤマザキマリさんの母でヴィオラ奏者の量子さんの追悼コンサートが今年4月に千歳で行われ、全国から700~800人が参加した。
「コンサートが終わったあとは、関係者で汗を流しつつジンギスカンを頬張り、ビールで流しこむ。そこにはしめやかの『し』の字もなかった」とマリさんが「文藝春秋」のインタビューに胸の内を明かした。
あまりに破天荒だった母の生きざま
「昨年の12月30日、母リョウコこと山崎量子が、89歳で永眠しました。
みなさんが、『マリさん、今は辛いだろうけど』と気遣ってくださるのですが、不思議と悲しんだり落ち込んだりがありません。『後から寂しくなるよ』と言われたりもしますが、未だにその気配もなし」
インタビューの冒頭から、マリさんの声に湿り気は感じられない。母リョウコさんは27歳のときに突然会社を辞め、半ば勘当状態で家を飛び出す。札幌交響楽団に入り、結婚するも夫が早逝。1 人でふたりの娘を抱えながらも、その生きざまはあまりに破天荒だった。
「母の『規格外』なエピソードは枚挙に暇がありません。洗濯石鹼で顔を洗ったかと思うと、愛読雑誌『暮しの手帖』に掲載されていたアップルパイを何十枚と焼き、市販のお菓子は決して買わない。炊飯器は買わずご飯は文化釜で炊く。運転中の車を急に停めては『タヌキだ!』と捕まえに行こうとする。『どうするの?』『飼うのよ』。いや飼えませんよ、タヌキ。勘弁してくださいよ」
「『凄くいいコンサートがあるから、2人とも学校休みなさい、授業よりこっちのほうが大事だから』などと私たちをズル休みさせる」