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バウアーと今永昇太、東克樹が思い出させてくれた大洋・遠藤一彦の凄さ

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/07/13
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 首位阪神との直接対決、第2ラウンドも勝てなかったベイスターズ。リーグ戦再開後はなかなか点が取れない苦しい状況だけど、ギリギリ持ちこたえているのは、ひとえに3本柱であるT・バウアー、今永昇太、東克樹のおかげ。特に7月6日のバウアー完投勝利、7日の今永15奪三振、9日の牧秀悟12回勝ち越し弾を呼んだ東の7回零封は、全ベイファンの心を揺さぶるピッチングだった。今永の咆哮は、バウアーの魂が乗り移っていた。

 昨夜は2点リードの8回に痛恨の同点弾を浴びてしまったものの、バウアーの一番の凄さは「先発投手=中6日」がデフォルトのNPBにおいて中4日をルーティンとし、本人もそこを強くアピールしている点。実際、中4日で投げた6月14日の北海道日本ハム戦と6日のヤクルト戦はいずれも完投。しかもヤクルト戦ではキャリア最多の128球を投げている。この試合、球数から考えるとさすがに9回はリリーフを仰ぐと思いきや、8回に打順が回ると背番号96が打席に向かった。その瞬間のハマスタのどよめきと、鳥肌の立つようなバウアーへの大声援はテレビからもしっかり伝わってきた。

バウアー ©時事通信社

「遠藤は江川よりずっとすごいピッチャーなんだぞ」

 9回に156kmをマークするなど、120球を超えてなおキレッキレの球で完投したバウアーの姿を見て、筆者はかつての横浜大洋ホエールズのエース、遠藤一彦のことを思い出していた。先発投手が中4~5日で投げるのが当たり前だった1980年代、83年と84年に2年連続で最多勝を獲得した遠藤は他球団のエース以上のタフネスぶりを発揮していた。ちょうどその頃、同年代でライバル的存在の巨人・江川卓が肩の故障もあって完投数が減り(82年24完投→83年10完投)、「100球肩」「手抜き投球」と揶揄されていたこともあって、われわれチビッ子大洋ファンは「遠藤は江川よりずっとすごいピッチャーなんだぞ」と誇りに思っていたのだ。

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 遠藤の先発投手としてのピークは毎年最多勝を争っていた82年~87年の6年間だが、完投数はそれぞれ12、16、18、16、16、15。リーグ最多完投を4度マークしていることからもその完投能力の高さが伺える。中でも驚異的だったのが84年で、この年は38試合登板(うち先発が37)で18完投、17勝17敗、防御率3.68。同年のホエールズは最下位で勝ち星は46だから、17勝を挙げた遠藤はまさに孤軍奮闘だったのである。

 当時はシーズン130試合制にも関わらず投球回数は276.2イニングまで達しており、84年の遠藤がいかに短い間隔で先発し、長いイニングを投げたかがわかる。細かく見ると中4日登板が13回、中3日も10回あるが、中4日および中3日で、前後両方の試合で完投したケースが1回ずつあるのだ。圧巻なのが5月から6月にかけてで、5月17日広島戦で完封すると、中4日で22日ヤクルト戦に投げて1失点完投勝利。次も中4日で27日阪神戦に先発するも、まさかの初回5失点で降板。するとリベンジとばかりにわずか中2日で30日の巨人戦に投げて完封勝利。さらに中3日で6月4日の阪神戦(甲子園)に先発すると、9回まで2失点の好投。しかし打線の援護がなく同点のまま10回裏もマウンドに上がると、1死から川藤幸三に2ランを打たれ、延長戦完投でサヨナラ負けという悲劇を味わった。84年はこの試合以外にも、サヨナラを含む「完投負け」が2度もあった。

1984年8月15日、12奪三振で1失点完投勝利を挙げた遠藤一彦を大きく報じる当時の朝日新聞スポーツ欄。この日も中4日での登板だった。※筆者のスクラップブックより
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