首位阪神との直接対決、第2ラウンドも勝てなかったベイスターズ。リーグ戦再開後はなかなか点が取れない苦しい状況だけど、ギリギリ持ちこたえているのは、ひとえに3本柱であるT・バウアー、今永昇太、東克樹のおかげ。特に7月6日のバウアー完投勝利、7日の今永15奪三振、9日の牧秀悟12回勝ち越し弾を呼んだ東の7回零封は、全ベイファンの心を揺さぶるピッチングだった。今永の咆哮は、バウアーの魂が乗り移っていた。
昨夜は2点リードの8回に痛恨の同点弾を浴びてしまったものの、バウアーの一番の凄さは「先発投手=中6日」がデフォルトのNPBにおいて中4日をルーティンとし、本人もそこを強くアピールしている点。実際、中4日で投げた6月14日の北海道日本ハム戦と6日のヤクルト戦はいずれも完投。しかもヤクルト戦ではキャリア最多の128球を投げている。この試合、球数から考えるとさすがに9回はリリーフを仰ぐと思いきや、8回に打順が回ると背番号96が打席に向かった。その瞬間のハマスタのどよめきと、鳥肌の立つようなバウアーへの大声援はテレビからもしっかり伝わってきた。
「遠藤は江川よりずっとすごいピッチャーなんだぞ」
9回に156kmをマークするなど、120球を超えてなおキレッキレの球で完投したバウアーの姿を見て、筆者はかつての横浜大洋ホエールズのエース、遠藤一彦のことを思い出していた。先発投手が中4~5日で投げるのが当たり前だった1980年代、83年と84年に2年連続で最多勝を獲得した遠藤は他球団のエース以上のタフネスぶりを発揮していた。ちょうどその頃、同年代でライバル的存在の巨人・江川卓が肩の故障もあって完投数が減り(82年24完投→83年10完投)、「100球肩」「手抜き投球」と揶揄されていたこともあって、われわれチビッ子大洋ファンは「遠藤は江川よりずっとすごいピッチャーなんだぞ」と誇りに思っていたのだ。
遠藤の先発投手としてのピークは毎年最多勝を争っていた82年~87年の6年間だが、完投数はそれぞれ12、16、18、16、16、15。リーグ最多完投を4度マークしていることからもその完投能力の高さが伺える。中でも驚異的だったのが84年で、この年は38試合登板(うち先発が37)で18完投、17勝17敗、防御率3.68。同年のホエールズは最下位で勝ち星は46だから、17勝を挙げた遠藤はまさに孤軍奮闘だったのである。
当時はシーズン130試合制にも関わらず投球回数は276.2イニングまで達しており、84年の遠藤がいかに短い間隔で先発し、長いイニングを投げたかがわかる。細かく見ると中4日登板が13回、中3日も10回あるが、中4日および中3日で、前後両方の試合で完投したケースが1回ずつあるのだ。圧巻なのが5月から6月にかけてで、5月17日広島戦で完封すると、中4日で22日ヤクルト戦に投げて1失点完投勝利。次も中4日で27日阪神戦に先発するも、まさかの初回5失点で降板。するとリベンジとばかりにわずか中2日で30日の巨人戦に投げて完封勝利。さらに中3日で6月4日の阪神戦(甲子園)に先発すると、9回まで2失点の好投。しかし打線の援護がなく同点のまま10回裏もマウンドに上がると、1死から川藤幸三に2ランを打たれ、延長戦完投でサヨナラ負けという悲劇を味わった。84年はこの試合以外にも、サヨナラを含む「完投負け」が2度もあった。