小学1年生の頃よりジャイアンツファンに目覚め、早30年。今では全身を駆け巡る血液がオレンジ色ですといっても過言ではない僕です。
僕がジャイアンツファンとして過ごした30年。その半分以上、実に17年間もジャイアンツの指揮をとり続けているのが原辰徳監督です。
9回のリーグ優勝、3回の日本一、WBC監督としての世界一なども手にして、すでに野球殿堂入りも果たしている名将中の名将です。
1958年生まれで、まさにこのコラムを執筆中の7月22日に誕生日を迎え65歳となった原監督。余談ですが僕の両親と同い年で、どうしても親近感が湧いてしまいます。
唯一無二の言葉力
「私の夢には続きがあります」
引退セレモニーで語り、その言葉通りに監督に就任し名将へと上り詰める姿はあまりにも眩しいものでした。
このコメントに凄みを感じます。
僕自身も純烈のステージやインタビューで言葉を発する機会は多いですが、とっさにこのフレーズを生み出せるような力はありません。
もし、事前に用意していたとしても、これだけインパクトを残す使い方ができることが天才的だと思うのです。
同じ言葉を発しても声のトーン、表情、間の使い方などで大笑いが起きることもあれば、水を打ったように静まり返ることもあります。言葉の力とは使い手によって違うということを、僕は普段ステージで嫌と言うほど感じています。
このように言葉を巧みに使い、人の心に訴えかけていく力は監督としての指導力にも確実に生かされていると思います。
43歳という若い年齢で最初に就任した原監督。選手との年齢差も小さく兄貴的な立ち位置から指揮をとっていた当時と、選手のお父さんよりも年上という今では使う言葉や接し方が変わっていると聞きます。
近年ではLINEグループを組んでその中に原監督も加わり、選手とやり取りしているというのです。
いろいろな選手がチームのために発言を交わしているというLINEグループ。ジャイアンツファンであれば、一度は覗いてみたいですよね。
大御所としての若手との接し方
しかし、組織の大ボスが入っているLINEグループともなれば、僕であれば「かしこまりました」「ありがとうございます」と、定型文以外は絶対に送らなくなります。失言をしては大変だからです。
今やエースに上り詰めている現在23歳の戸郷翔征投手にいたっては、今年のお正月にはLINEで原監督に年賀状を送ったそうです。
これは戸郷投手の強いメンタルもあるでしょうが、親子以上に年の離れた選手とコミュニケーションがとれる原監督の度量の大きさを感じずにはいられません。長きにわたりジャイアンツを率いることができる、ひとつの要因なのではないでしょうか。
僕自身も純烈として活動する中で、年上のマダムのファンの方とどう接するべきか考えることが多いです。
タメ口では失礼にならないか、かといって敬語では距離を感じさせてしまわないか……などと考えながら、相手の空気感に合わせて変えたりしています。
原監督への尊敬が止まない点は、まだまだ他にもあります。
今年のWBCで世界一に輝き、今や誰もが野球日本代表を連想する「侍ジャパン」という言葉。
実はこの呼称が生まれたのは原監督が指揮をとった2009年のWBCからなのです。それまでは監督の名称を頭につけた「◯◯ジャパン」という呼ばれ方が一般的でした。
アテネ五輪の長嶋ジャパン、2006年WBCの王ジャパン、北京五輪の星野ジャパン。その後を受けた原監督は、当時50歳と比較的若かったことからも「原ジャパン」の呼び名を固辞したのです。
代表チームの呼称に自分の名前が入ることへのおこがましさや、責任の重さは誰もが想像できるはずです。それでも、先輩からの流れがあれば甘んじて受け入れる人がほとんどだろうと思うのです。
そんな流れがあっても、違うと思えば違うと言う。はっきりと意思表示する原監督のスタイルは、采配にも確実に生きていると思います。