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金子がファンミーティングを開いた理由

 取材の入りはいつも砕けた内容だったが、少しずつ私の疑問にも答えてくれた。肘や肩の状態、そして四球が増えた理由など数々のミニ情報をわかりやすく教えていただいた。四球が増えた理由は「昨年までは2-2から決め球で決まっていたのに、それが3-2になるんですよ。そうなると四球の確率が高くなりますよね」。これを聞くとああなるほどとなる。

 そして金子さんはファンあがりでライターになり、全て自腹で遠征にまで行く私の向こう側にはファンがいると思ってくれたのが大きい。

 K-POPのようなファンミーティングを開いた理由は「ファンサービスは全員が喜べるものにしたい」という気持ちから考えついたという。また私のツイッターをフォローしてないにもかかわらず、しっかりチェックしており、金子さんに聞いて欲しいことありますか? と募ったものの中から、金子さん自身が「今回はこれを答えればいいですよね」と言って来た時にはこちらが驚いてしまった。

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 当時の広報さんからは「どらさんはいいところしか書かないから金子もわかってるんですよ」と言ってくれたが、金子さんはエースとしての務めをしっかりしていたのだ。

©垪和さえ

引退式で最後に着たのは、オリックスのユニフォームだった

 後輩とは「向こうから来れば話しますけど、こちらからは行かないですね」というスタンスなので、平野(佳寿)さんや比嘉(幹貴)さんと交流している場面が多かったように思う。エースだった金子さんについて平野さんは「いつもオフに集まってやっているので、寂しさはないですね」とした上で「球界を代表するピッチャー。お手本になるピッチャー。彼が投げる試合はほとんど勝ってるイメージがある。だから僕もけっこう投げなきゃいけないなという思いもあったり、でも彼は1人で投げ切ってくれるから、すごい頼もしかったし、そういう気持ちもありましたね」と同学年の戦友は語ってくれた。

 またエースと主砲の仲だったT-岡田さんは「守っててリズムもいいですし、安心して守れました。その代わりネコさんが投げる試合は打って勝たなきゃいけないというのもありました。寂しさはありますけど、僕の1000安打はネコさんからだったので、それは特別なものがありますね」と思いを語っている。

 そんな金子さんも後輩で気にかけていた選手がいる。山岡泰輔だ。山岡のルーキーイヤーだった2017年。山岡は1年目のキャンプから自己流を貫いた。この姿を見て私たち報道陣からは「金子と似ている」という声が多かった。そのことを金子さんに聞くと「彼は素晴らしい選手になると思いますけど、ボクはいろいろと戦ってきて今(の調整法)なので。彼もいつか乗り越えなきゃいけない日が来る」と断言していたのは今でも凄く頭に残っている。自らが築いて来たことは簡単じゃなかったということだろう。

 2018年のファンフェス終了後、駐車場で私は「金子さん、何処に行っても応援してます」と声をかけたら強張っていた顔が笑顔に変わり「ありがとうございます」と言って車に乗り込んだ。

 私は金子さんが日本ハムに移籍後も東京ヤクルトに移籍した金子さんと同い年の近藤一樹さんとの橋渡し役を数回させてもらった。お互いに嬉しそうで、少しは恩返しが出来たかなと思う。

 オリックス・バファローズ「1期生」であることに誇りを持っていたエース金子千尋が引退式で最後に着たユニフォームがオリックス時代のものだったのは粋な演出だった。またいつか戻って来て欲しい。

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