リハビリも見ているこっちが苦しくなるくらい、涙出ちゃうっていうか。泣いてましたけど、本人の前で泣けないから。俺ってそんなに可哀そうな状況なの?って本人落ち込んじゃうじゃないですか。だから病院を出た後にワーッて泣いてました。当初は飲み込みもよくできなかったので、喉の手術もして、またリハビリも相当頑張っていましたね。
夫が入院するずっと以前に「僕は、上は白鳥のように優雅に泳いでるけど水面下ではアヒルのようにバタバタバタバタってすごい漕いでるんだよ。君には僕の水面しか見えてないだろうけど、実は下でこんな大変な思いしてるんだ」みたいなことを言われたことがあったんです。
え?だったらちゃんと言ってくれればいいのにって思ったけど、そこは男の人はカッコつけて言わないんですよね。結構自分の中に溜めちゃう人だから、溜めてドカーンってなったときでした。それが、まさにリハビリでも頑張って漕いでるんだっていうのを見た思いです。
夫は当時日記も書いていて、「回復してうのを驚かせたい」と考えていたみたいです。
あと5ミリ脳の血管が詰まっていたら…
――コロナ禍での入院だったため、神田さんだけ面会許可が下りていたそうですね。
神田 病院に入れるのはひと家族1名だけなんですね。私が代表して毎週PCR検査を受けて、毎日面会に行ってました。ただ、途中で私も疲労で倒れてしまって、一時期夫とは違う病院に入院していたことがありました。
そうした時間を過ごしながら、旦那さんもリハビリの甲斐あってか、退院が決まったときは杖を持って歩けるところまで回復しました。
――すごい回復力ですね。
神田 お医者さんにも、こんなに回復して奇跡ですって。脳の画像を見せてもらって、ここがまだ詰まってるとか、あと5ミリって言ったかな、ここの血管が詰まったら、一生車椅子だったそうです。不幸中の幸いでした。
今は元気になってゴルフに行ったり、銀座に飲みに行ったり(笑)。量は加減してるかもしれないけど、そこまで元気になったのでいいこといいこと。良かった良かった、って今は思っています。
撮影 佐藤亘/文藝春秋