信じて疑う心なし
国枝 塩沼さんの「千日回峰行」や「四無行」といった厳しい修行については著書で拝読しました。想像を絶する厳しい修行に驚きましたが、何か心の支えにしていたものはありますか。
塩沼 実は私も、修行中に繰り返し自分に言い聞かせていた言葉があります。「信じて疑う心なし」。1000日回峰行は険しい山道を1日に48キロ歩く、これを1000日間繰り返す修行です。1年に4カ月ほど行い、満行するまでに足かけ9年かかりました。
国枝 大自然が相手の修行ですから、危険とは常に隣り合わせですね。
塩沼 まさに生きるか死ぬかの状況で、「自分は大丈夫だ」と強い意志を持ち続ける必要がありました。これは修行を重ねる中で分かったことですが、0.1%でも自分を疑う心があると、ネガティブな方向に心が全部引っ張られてしまうんですね。だから少しでも弱気になりそうな時は「信じて疑う心なし」と唱えていました。この前、「俺は最強だ」と色紙に書きながら、当時を思い出していました。
国枝 「俺は最強だ」と「信じて疑う心なし」。かなり近い言葉ですね。テニスは試合時間がだいたい2時間、長い時は3時間かかるので、その間ずっと強気でいることは難しい。ネガティブな心の時はスコアもどんどん離されて、結果も出ない。そういう弱い心を打ち消してくれたのが、「俺は最強だ」でした。
塩沼 試合中も実際に声に出すのですよね。結構大きな声なんですか。
国枝 相手に聞こえない程度に、ですね。口に出しながらボールを打つこともありました。「俺は最強だ」以外にも、「I can do it!」「I know what to do」と言い聞かせることもあります。東京パラリンピックでは、この3つのフレーズをよく使っていましたね。
塩沼 仏教の修行は、行動、言葉、心を一体化させないといけない。そのためには言葉を口に出すのがすごく重要です。
国枝 ラケットにも「俺は最強だ」と書いたテープを張っていて、試合中、耳からも目からも脳に刺激を与えるようにしていました。
塩沼 なるほど。私も修行の杖に「信じて疑う心なし」と書いておけばよかったな。
国枝 実は、テニスって実際にボールを打っている時間は1試合につき30分くらいしかありません。残りの1時間半はすべて「間」で、この「間」を制することがテニスを制することだと思っています。
塩沼 「間」を制する、ですか。ゲームに勝とうと思うと、どうしてもテクニックや戦術に気がいってしまいそうですが。
国枝 僕もメンタルトレーニングを始めるまでは「間」の重要性に気が付きませんでした。でも、実はこの「間」こそが自分を一番コントロールできる時間なんです。テニスは相手と直接対峙する競技ですし、ポイントが始まると、どうしても相手に合わせる必要が出てくる。そこで勝負所となるのが、ボールを打つまでの25秒間。たとえ負けていてもこの25秒で自分自身を立て直せるか——「俺は最強だ」と思えるかが非常に重要なんです。
塩沼 メンタルトレーニングでここまで大きく考え方が変わるのですね。すごく勉強になります。
国枝 クインさんの指導を受けるまでは、メンタルトレーニングは動じない心を作ったり、メンタルを強化することだと思っていました。ところが実際は、トレーニングしてもメンタル自体が強くなることはあまりないんです。僕も最後の最後まで試合前はビビっていました。
塩沼 えっ、そうなんですか。
国枝 はい。でも、そのビビった心をいかに振り払って、自信のある状態でポイントを迎えるか、このテクニックを学ぶのがメンタルトレーニングなんだと気付きました。「俺は最強だ」以外にも、試合前・試合中のルーティンを大切にしていました。たとえばサーブを打つ前に2回ボールを地面につけるのですが、セカンドサーブではそれを4回にしたり。ビビる心は消えないけど、それをうまくコントロールするテクニックを身につけることが重要でした。
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国枝慎吾氏と塩沼亮潤氏に「『最強』メンタルの整え方」全文は、月刊「文藝春秋」2023年8月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
【文藝春秋 目次】現代の知性24人が選ぶ 代表的日本人100人 藤原正彦、保阪正康、板東眞理子、原田マハほか/SMAPはじまりの日 鈴木おさむ
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