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「7年間ずっと満席のまま閉店」伝説のパクチー専門店主が、千葉の田舎に出した「パクチー銀行」の途方もない夢

source : 提携メディア

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※編集部註:「パクチー銀行」は通称で、法人名ではありません。正式名称は「SOTOCHIKU & 89 unLtd.」で、佐谷恭さんが代表を務める「旅と平和」などが運営するカフェ兼ギャラリーです。(7月11日13時5分追記)

京大での「楽し過ぎた」4年間

1975年、神奈川県秦野市で生まれた佐谷さんの「パーティー人生」は、浪人中に通っていた横浜の駿台予備校で幕を開ける。

「夏の模試の後、飲もうぜって声をかけたら、僕がいた東大文系スーパークラスの80人中60人ぐらいが参加することになってね。それがすごく楽しくて、月に2回ぐらい飲み会を開くようになったんです。もちろん、親には『勉強で遅くなる』と言っていました(笑)」

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迎えた受験の冬、クラスメートの大半が東大を受験するなか、佐谷さんは現役時から志望していた京大を受け、合格した。

京都での佐谷さんは、実に慌ただしい。まず、バックパッカーになって約20カ国を旅した。在学4年のうち、約1年を海外で過ごしたという。さらに、在学中に4つのサークルを立ち上げた。サークルは飲み会とセットのようなもので、いつもその主催者としてジョッキを握っていた。

もともとは「小学生の時に授業で一度も手を挙げたことがない」というほど人前で話すことが大の苦手だったが、次第に慣れていった。「乾杯の音頭次第で、場の雰囲気がガラリと変わる」という実感を得たのも、この頃だ。

旅とパーティーに明け暮れていた佐谷さんにとって、大学生活は「楽しすぎて、やめたくなかった」から、卒業したら1、2年、旅に出ようと考えていた。ただ、就職しないならその理由を両親に説明しなければならない。試しに、DMを送ってきた富士通の面接を受けることにした。

「いえ、志望してません」

面接当日。「富士通を志望した理由を教えてください」と当たり前のように聞いてきた面接官に、佐谷さんは答えた。

「いえ、志望してません。こういう場面で御社が第1志望ですとぬけぬけと言う人を僕は信用できません。それに、まず大学を出たら会社に入らなきゃいけないっていうその常識から疑った方がいいんじゃないと思っていまして、就職するかどうかまだ決めていないんです」