自分は安定した仕事で、不満もない。1年に3回、海外旅行に行って、プライベートも充実している。でも、仕事を楽しむってどういう感覚なんだろう……? 帰宅後、改めて自分のキャリアを見つめ直した女性は、しばらく後に転職。その報告をしに、パクチーハウスに寄ったのだった。
「本当にやりたい仕事を見つけ、転職したのでお礼を言いに来ました」
東日本大震災後に予約が急増
佐谷さんが経営する「旅と平和」は、決して順風満帆だったわけではない。2010年8月に開いたジビエ焼肉店「鳥獣giga」は不振を極め、半年で閉店。社員のリストラもせざるを得なかった。ジビエ焼肉店と同時期に開いた東京初のコワーキングスペースもまだ利用者が少なく、コストがかさんで翌年の東日本大震災直後には債務超過に陥りかけた。この危機を救ったのが、パクチーハウスだ。
「震災の後、自粛ムードがありましたよね。月に10回飲食店に行っていた人が週1回になったら、特徴のある店を選ぶでしょう。パクチーハウスは珍しいメニューだし、お客さん同士が話をする変わった店というのも知られるようになっていたせいか、一気にお客さんが増えました。特にひとりで来るお客さんが多かったですね」
震災後、心細い思いをしていた人も少なくないだろう。きっと、パクチーハウスの「交流」がもたらす温かみと安心感が求められたのだ。そして、その居心地の良さを知ったお客さんが次々とリピーターになり、前述したように、2011年5月から連日、予約で満席になった。
「店を開く時は、タイフェスティバルで知り合ったタイ人のおばちゃんに相談して、毎週10キロ用意できる農家さんを紹介してもらいました。パクチーの流通がほぼない時代だったので、使用量が徐々に増え、調達に苦心していました。全国にパクチー農家を徐々に増やし、店が予約でいっぱいになってからは1日8キロ、年間2.5トン使いました」
これだけの人気店になると、当然、フランチャイズのオファーも来る。しかし、「自分がやりたいのは、パクチーを通して人がつながる場所づくり。それをノウハウ化してほかでやっても薄まるだけ」と考えて、経堂の単独店舗にこだわった。