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「7年間ずっと満席のまま閉店」伝説のパクチー専門店主が、千葉の田舎に出した「パクチー銀行」の途方もない夢

source : 提携メディア

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パクチーの魅力にとりつかれた佐谷さんは2005年、日本パクチー狂会を設立。当時まだ珍しい食材だったパクチーを全国に広めようと、足を運んだ飲食店でパクチーの宣伝に努め、友人知人には種を渡して自家栽培を促した。

この活動をしながら、「日本には意外なくらいパクチー好きが多い。でも、パクチーがあるべきところにない」という潜在需要を感じていた。食材といえばパクチー以外なにも知らなかった佐谷さんにとって、ほかに選択肢はなかった。

「知り合いの中小企業診断士や外食コンサルタントに話したら、みんなパクチー専門店なんてありえないという反応だったんです。一般的なビジネスで成功してから趣味でやれと言われました。でも、すべての料理にパクチーを入れたパクチー専門店はほかにない。雑誌に取り上げてもらったりして、2年ぐらいなんとか持たせれば、食事の提供だけじゃない僕ならではの店づくりも浸透して、ファンになってくれる人も増えるんじゃないかと思いました」

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パクチーハウス東京の理想

2007年3月、ライブドアを退職。飲食店開業の準備を進めながら8月9日、「パク」の日に株式会社「旅と平和」を創設し、同年11月、東京の経堂にパクチーハウス東京を開いた。

開業資金にはライブドアの退職金のほか、佐谷さんの事業構想に共感した24人から集めたひと口10万円、計300万円の協賛金を充て、総額890万円をつぎ込んだ。佐谷さんならではの店づくりとは、次のようなコンセプトだ。

「パクチーハウスに来たら今まで知らなかった知識が得られるとか、友情ができるとか、そういう『交流する飲食店』にしていこう」

理想は、ゲストハウスの共有スペースに宿泊者が集い、どこがよかった、あの店はおススメという情報共有が始まって、それをきっかけに行動を共にするような出会いが生まれること。

そのために、コミュニケーションが生まれる仕掛けを仕込んだ。例えば、あえて客席の間に仕切りを設けず、隣席と密着したレイアウトにした。これは、「隣席の楽しい話が耳に入ったり、隣席の人が珍しい料理を食べているのを見て、思わず話しかけること」を期待したものだ。