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「7年間ずっと満席のまま閉店」伝説のパクチー専門店主が、千葉の田舎に出した「パクチー銀行」の途方もない夢

source : 提携メディア

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この時も、特にやりたいことがあったわけではない。独立を決めた2006年の10月から、ライブドアの報道部門が不採算を理由に閉鎖される2007年3月までの半年間、佐谷さんはなにをしようか、なにができるか、じっくり考えた。

その時に改めて実感したのは、「自分にできることは、パーティーと乾杯だけ」。実は、社会人になってからもパーティーの主催を続けていた。それは単純に楽しいという理由ではなく、年齢、性別、所属を超えてポジティブな雰囲気なるパーティーには価値があると確信していたからだ。

いいパーティーは、偶然生まれるものではない。主催者として数えきれないほどの乾杯を重ねてきた、そのノウハウとスキルを活かすには、どうしたらいいか。当初は飲食店の定休日にお店を借り上げ、「旅と平和」をテーマにゲストを呼んで、その活動を支援するファンドレイジングパーティーを開催するビジネスを考えた。

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事業化を目指し、飲食業界の構造を学ぼうと手始めに30冊ほど関連書籍を買い込んだ。回転率というケチな発想に、まず絶句した。さらに当時のトレンド、膝をついて注文を受ける「膝つき接客」についての解説や顧客との距離を置く日本の飲食業の独特のスタイルが「常識」とされる業界に「従いたくない」と感じた。

パクチーの潜在需要

それ以来、飲食業界の課題が目につき、「自分ならこうする」というアイデアがいくつも浮かんでくるようになった。それが数カ月続いたある日、意外な言葉が舞い降りてきた。

「自分でやっちゃえば?」

脳裏に浮かんだこの言葉が、背中を押した。

「僕はいつも飲む側で、飲食店で働いたこともないし、最初はちゃんちゃらおかしいと思ったんだけどね。飲食業ってシンプルだし、初めてやる商売として悪くないかなと思ったんです」

飲食店を始めるとして、なにを出すのか。そこに迷いはなかった。パクチーだ。

「初めてパクチーを食べたのは、カンボジアです。大きく育ちきった太いパクチーを鍋で煮る料理があって、ぜんぜん噛み切れないし、とんでもなく強烈な味がしました。なんでこんなの食べるんだろうと思っていたんですが、その後、旅先のあちこちでパクチーを食べたらすごく爽やかなやさしい味わいで、ビックリしたんですよね。最初のインパクトと味のギャップでパクチーにはまりました」