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「お別れ会には歴代総理が…」 宮﨑駿監督の“生みの親”・徳間社長が亡くなる直前、鈴木敏夫がショックを受けた出来事

2023/07/14
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 普通の人は日記を書いたら書きっぱなしです。でも、それを一日後、一カ月後……と何度も読み返す。そして、次に同じ人に会う予定が入ったら、その人と会った時の日記を読み直すのです。さらに自分で年表にして、その内容を暗記までしていた。当日、「きみは、こういったよな」と言われて相手は驚く。そして「徳間さんは凄い!」となるわけです。

 この日記には後日談があります。社長が亡くなったあと、お別れの会に歴代総理が何人も来ていました。葬儀委員だった私が奥様の横にいるとそのうちの二人が、お悔やみをいいながら「ところで徳間さんの日記は」と聞いてきました。自分の秘密が書かれてないか気になったのでしょう(笑)。 

「コクリコ坂から」より。徳間書店が刊行する「アサヒ芸能」によく似た雑誌が……! ©2011 高橋千鶴・佐山哲郎・Studio Ghibli・NDHDMT

 徳間社長の口癖の一つは、「人は見てくれだ。中身じゃない」。

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亡くなる直前にショックを受けた

 亡くなる直前のことだったと思います。病院でベッドを移るときに私が社長の体を抱えたのですが、ずいぶん軽かった。「恰幅が良かったのに、こんなに痩せてしまったのか」とショックを受けました。

 亡くなったのち、徳間社長は着道楽でスーツをたくさん持っていたので、奥様に「形見分けをされてはどうですか」と提案しましたが、「それがダメなのよ」とおっしゃる。スーツを見せられて驚きました。肩パットのような素材が下の方まで、びっしり縫われているのです。自分を恰幅よく見せるための見えざる工夫だったのです。

「コクリコ坂から」より。徳間社長がモデルとなった徳丸理事長。香川照之が声優を務めた ©2011 高橋千鶴・佐山哲郎・Studio Ghibli・NDHDMT

 さまざまな顔を持っていた徳間社長ですが、私がいちばん接したのは映画人としての顔です。

 出版社の社長が映画を作るなら、普通は自分の会社の書籍を原作にします。しかし、徳間社長は、面白いからやるタイプ。製作総指揮をした映画「敦煌(とんこう)」は1988年に公開され大ヒット、日本アカデミー賞の最優秀作品賞をもらいましたが、井上靖さんの原作は、新潮社の書籍でした。それでもお構いなしでした。