「オレには右も左もない。売れればいい」
徳間社長の手によって作られた映画で忘れてはいけないのが、高倉健さん主演の「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年)です。この作品は中国で史上空前のヒットを記録し8億人が見た映画と言われています。中国とのかかわりが強くなった後は、若手の中国人映画監督を育てようと、ずいぶん金銭的な支援をしていました。
中でも中国第5世代の監督と呼ばれた陳凱歌(チェンカイコー)、張芸謀(チャンイーモウ)たちには、「映画を撮るなら中国と日本の戦争を描けばいい」とアドバイスをする。彼らは後に日中戦争を背景にそれぞれ「黄色い大地」「紅いコーリャン」を発表し、世界各国の映画賞を総なめにして、中国映画を世界に知らしめました。
また、文化大革命を描いた田壮壮(ティエンチュアンチュアン)の「青い凧」には、自身がゼネラル・プロデューサーを務めた東京国際映画祭でグランプリを与えています。そんなときに決まって言うのは「オレには右も左もない。売れればいい」。
「コクリコ坂から」に隠された秘話
徳間社長が亡くなって10年ほど経った2011年にジブリは、「コクリコ坂から」(宮崎吾朗監督)を作りました。実は同作には徳間社長にまつわる秘話があります。
作中、主人公たちの窮地を救うキャラクターを登場させましたが、彼の名前は徳丸理事長。モデルは徳間社長です。徳間社長は母校の逗子開成高校の理事長を死ぬまで続けていたのです。
徳丸理事長の本業も出版社の社長にしました。社長室の額には、私が書いた「真善美(しんぜんび)」の書を入れてもらいました。徳間社長は終戦直後、真善美社という小さな出版社に務めていたんです。「あそこでオレは野間宏の最初の単行本を担当したんだ」とよく自慢していた。そんな思い出と感謝の気持ちをあのキャラクターに込めました。
映画を作っているときは思い通りに行かないことばかりです。「大変じゃないですか?」と聞かれることもありますが、一度も辛いと思ったことはありません。
「人生でいちばん大事なことって何ですか?」と聞く私に「仕事をやって感じられるエクスタシーだよ」と答えた徳間社長。あんな生き方を真似はできませんが、仕事に向き合うときの明るさだけは、受け継げたかなと思っています。