「名古屋から帰さないからな」
携帯をすり替えることには成功したが、国税はさらに家のなかにある印鑑をすべて確認し始めた。ここから、やっかいな展開に突入する。
「西川さん 、車のなかも見せてもらっていいですか」
国税の査察官4人に囲まれながら、俺は裏の駐車場に駐めてあったアルファードに向かって歩き出した。ドアのロックを解除すると、4人全員が車内に目を向けた。
その一瞬のスキを見計らって、俺はズボンの内側に隠していた自分の携帯を近くの草むらに向かって投げた。本当はもっと遠く投げたかったが、大きなアクションを取るような余裕はまったくない。だが、ここでも気づかれずに携帯を捨て去ることができた 。
銀行の預金通帳に対し、印鑑の数が足りなかったようで、国税はなおも捜索を続ける。現場の立ち会いは妻に任せ、俺は、いったん名古屋国税局に向かうことになった。1台は国税の車、そしてそれを追いかけるのが国税職員を助手席に乗せた俺が運転するアルファードだ。
そのころ、捜索が続く俺の自宅で、担当者の1人が余計なことを言い出した。
「奥さん、携帯電話はありますか?」
「あれ、私の携帯がない。どこへいったんやろ……電話鳴らしてもらえますか」
担当者が妻の言う番号に電話をかけたとき、名古屋に向かっていた俺の車の前を走る国税の車が突然停止した。証拠品として押収していた携帯電話が袋のなかで鳴ったため、早くもすり替えがバレたというわけだ。
「携帯、奥さんのじゃないですか。西川さんのは?」俺は何食わぬ顔をして開き直った。
「知らん。さっき電話したあと、ちゃんと渡したやろ」
「奥さんのでしょ」
「俺のです。名義を調べてください」
俺にも、いざというときの言い分があった。妻の携帯電話も契約者の名義は俺だった。形の上では俺が使用している携帯で間違いないのだ。
担当者の顔はもう真っ青だ。国税は、最重要証拠品である俺の携帯が押収できていないことを知り、目の色を変えた。同じ津市内のジュンの家に踏み込んでいた職員を呼び寄せ、人がかりの「スマホ大捜索」が始まった。
室内から携帯が見つからなかったため、車の周辺が怪しいという話になり、周囲の草むらをスーツの男たちがしらみつぶしに探し続ける。異様な光景――彼らも国税局に就職したとき、まさか早朝に草むらをかき分ける仕事をやらされるとは思わなかっただろう。
「携帯が出なければ名古屋から帰さないからな」
俺に向かって、国税の担当者がそう凄んでみせた。