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原監督と三浦監督から学んだ“トップの心得”

 幸いなことに、休業明けにお客さんがドッと押し寄せてくれました。コロナ禍の影響で公共交通機関以外での移動手段が注目されるようになり、自動車の需要が高まったようでした。

 ホッとすると同時に、やはりDeNA時代のフロントの方が言っていたことの重要性を痛感しました。巨人時代はいつも大勢のお客さんが入っているのが当たり前で、自分のパフォーマンスを高めることしか考えていませんでした。でも、経営側の目線に立つと「野球場に来てくれる人がいるからプロ野球は成立する」ということがよくわかります。自動車学校もいくら素晴らしいスタッフがいても、お客さんがいなければ存在価値はなくなってしまうのです。

 現在、僕は鎌ケ谷の自動車学校の経営を任されています。休業明けには多くのお客さんに恵まれましたが、自動車学校の未来は決して明るいとは言えません。今や自動車免許を取るのが当たり前の時代ではなくなり、ガソリン、電気などのエネルギー価格や車両価格の高騰も追い打ちをかけてきます。

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 経営を任されてみて、あらためてプロ野球の監督の偉大さを実感するようになりました。僕にとって、初めて接したプロ野球の監督は原辰徳さんです。一つの采配ミスで猛烈な批判を浴び、それでも先を見据えて采配を振っていく。そのマネジメント力と精神力は想像を絶します。

現在の筆者(本人提供)

 また、原監督は年齢に応じて選手との接し方を変えているように感じます。僕が巨人に在籍した当時は監督として1期目でしたが、選手に対して常にフォローしてくれる「優しい監督」というイメージがありました。2期目以降は選手と適度な距離感を取りつつ、負けが込んでいても顔色を変えずに構えていました。ときどきもらえる誉め言葉が、選手としてすごくうれしかったです。

 原監督のような名将でも絶えず進化し、若い人とのコミュニケーション方法を変えている。僕はそのことを肝に銘じて、常に勉強していこうと決めました。

 プロ野球の監督を通して学んだことは他にもあります。DeNAの三浦大輔監督と久しぶりにお話しした際、「監督って大変ですよねぇ。何が一番大変ですか?」と聞くと、こんな答えが返ってきました。

「年間通して自分がどう思っているのか、伝えるのが大変だよな。自分の考えが正しいのかどうかはわからない。でも、仮に自分が間違っている場合でもコーチ陣が修正してくれるから、やりやすいよ」

 この言葉を聞いて、僕は天啓に打たれた思いがしました。以前の僕は「どうせ野球しかやってこなかったヤツ」と思われることを恐れて、自分が思っていることを周囲に伝える努力をしていなかったのです。

 自分なりにデータを集め、予測を立て、根拠を持って「この時期にこういうお客さんが来てくれると思います」と人前で発言する。それができるようになると、僕を見る周りの目が変わってきました。従業員から「これ、どうしましょう?」と相談されることが、どんどん増えてきました。僕はようやく、会社というチームで一歩踏み出せたような実感を得ました。

 自動車学校のある鎌ケ谷は、僕の古巣でもある日本ハムの2軍本拠地があります。球団の方には、「どうやって地域から応援してもらえるようになったのですか?」とノウハウをお聞きしています。球団の方からは「本当に経営の人になったんだね」と言われ、少し照れ臭くなりました。

 今の従業員には、入社する時から自分が面接でかかわった若い人もいます。彼らも結婚し、子どもが産まれ、一家の大黒柱になっていくことでしょう。そんな彼らが定年まで安心して働けて、その子どもが「お父さんはあの自動車学校で働いてるんだ」と胸を張って言える環境をつくる。それが僕の今の夢です。

 そして、いつか父が退いた後に「林昌範の代になって、自動車学校がもっとよくなった」と言われる経営者になりたい。そんな目標を持って、これからも挑戦していきます。

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