イニング間に行われるレフト・田口壮とライト・イチローの大遠投キャッチボール。
大好きだった。あの糸を引くような送球はいつまでも観ていられた。野球少年にとって珠玉のショータイムだった。
「関西学院大学から物凄いショートが入ってくると上田(利治)監督が大興奮していてなあ。守備範囲は広いし、信じられない肩の強さだし、マスクは良いし……て、上田監督が気に入っていたんよ。今でも覚えてる。それが田口よ」
放送席でお隣にいる佐藤義則さんが微笑みながら、こう教えてくれた。ヨシさん(馴れ馴れしくも佐藤さんのことをいつもこう呼ばせて頂いております、皆様、ご了承ください。)は田口さんとイチローさんの大遠投キャッチボールが生まれるまでには色んなことがあったと打ち明けて下さいました。
ショートを諦める判断がなければ、あのキャッチボールは生まれなかった
「ある日なあ、田口がボールを上手く投げられないとなってなあ。ショートを守れないと。運動能力を見ても、脚力も肩の良さも才能は抜群だった。俺は田口の可能性を感じて、また上手く送球ができるようになってほしくて、付きっきりでスローイング矯正をしたのよ。イチローも認めるくらいの肩の強さ、強く遠くへ投げることへの才能は物凄かった」
ベテラン投手としてチームの軸であったヨシさんは自分の登板日でない日に若い田口さんをブルペンに呼び、スローイングをゼロから教えていたのだ。マウンドに立たせてキャッチャーに向かって投げさせてみたり、ネットに向かって短い距離を投げさせてみたり。田口さんは何時間も投げ続けたという。
「イチローも昔はバックホームのコントロールは悪かった。若いころはキャッチャーの頭を超えてバックネットに当たるような送球ばかり。それが努力によってあそこまでになった。田口も直ると、絶対に直ると言い聞かせた。俺は田口にショートを守って欲しかったから。結果、練習ではかなりスローイングが良くなって、俺らは行けると思った。でも94年に田口はショートを諦めますと言ってきた。相当悩んでいたよなあ。最後は自分で田口が決めたんだよなあ。あれが無かったら、あの判断が無かったらメジャーリーガー田口も、あのイニング間のイチロー・田口のキャッチボールも生まれたなかったんだよなあ」