基本が大事なのはうどんも野球も一緒
褐色の出汁は、関西風の味つけに関東の人間の好みに合わせて醤油をミックスしたもの。コシの強い麺は太さも長さも不ぞろいで、さまざまな歯応えやのど越しが味わえる。そんな感想を伝えた時、横山さんは笑ってこう答えたのだった。
「それが手打ちの醍醐味だよ」
大病をしたこともあり、現在は修業仲間の店長にうどん作りを任せ、接客を担当する横山さん。それでも、うどんへのこだわりは衰えるところを知らない。
「レシピを変えずに40年やってきたよ。自分のところのうどんが一番うまいと信じてるからね。もちろん、お客のなかにはウチのうどんが好きな人もいれば、嫌いだと言う人もいると思う。でも、それは仕方ないよね。最初に教わった基本を守って、信念を通すしかない。結局、基本が大事なのは野球と一緒だから」
ピンチの後にチャンスあり
私のうどん作りは佳境に入っていた。足で踏んだ生地を1時間ほど寝かし、麺棒で伸ばす。薄く伸ばしたら、包丁で細く切り分ける。息子がおぼつかない手つきで包丁を生地に入れるのを、冷や冷やしながら見守る。
巨人と広島の試合もまた、終盤に入っていた。8回表に入った段階で、0対6。もはや広島の勝利は揺らがないように思えた。
負けは確定的なのに、戦わなければならない。それは暗闇を突き進むような心細い道のりに違いない。
そう思いかけた時、再び條辺さんの声が聞こえてきた。
「コロナの時は、かなり大変でした。ウチは夜営業をしていない(15時閉店)ので、協力金(20時まで営業をしていた飲食店が対象)が出なかったんです。売上は3~5割も減って、かなり不安でしたね」
條辺さんを支えたのは、巨人時代から交際し、ともにうどん修業を積んだ妻・久恵さんだった。売上がどん底まで落ちた頃、久恵さんは條辺さんをこう励ましたという。
「もう、野球をやめた時に1回ゼロになってるんだから。ゼロになったら、また新しいことを始めればいいじゃない」
常連客も條辺さんを忘れていなかった。コロナ禍の真っただなか、多くの巨人ファンが「條辺」ののれんをくぐった。「今ならすいてると思ってね」と小粋に語る巨人ファンに、條辺さんは「本当にありがたかった」と感謝を口にする。
絶望をくぐり抜けたのは、横山さんも同じだ。1999年に大腸がんを発症し、肝臓にもがんが転移。一時は「余命3カ月から半年」と告げられたこともある。妻・敦子さんがドナーとなり、肝臓移植の大手術を受けて生きながらえた。
3カ月に及ぶ入院期間、息子や娘が手伝い、あるじ不在の店を支えてくれた。横山さんはしみじみと振り返る。
「こういう店は2~3カ月も休んじゃうと、ダメになることが多いんだ。でも、娘なんて勤めている仕事を休職してまでやってくれた。長年付き合ってる仲間たちも心配して店に来てくれて、そういう人たちの協力があってピンチを乗り越えられたんだよ」
コロナ禍の最中、横山さんは店の前にこんな貼り紙を掲げていたという。
「ピンチの後にチャンスあり」
横山さんは実感を込めて言う。
「人間、生きていればピンチが来るけど、その後に必ずチャンスが来るんだ。野球だってそうでしょう? どんなに苦しくても、不思議なものでチャンスが来るから野球は面白いんだ。今までもこれからも、そう信じてやってるよ」
「立山」のうどんは、そんな人生の深みが隠し味になっているのかもしれない。
こんな時には、うどんを食べよう
テレビに映るバッターボックスには、岡本和真が入っていた。快投を続ける森下の前に2ストライクと追い込まれ、もはや剣が峰に立たされている。
だが、甘く入ってきたカットボールを岡本が鋭く振り抜く。打った瞬間、ホームランとわかる3ランだった。
私は沸騰した鍋からゆで上がった麺を引き上げる。太さも長さもバラバラで、不細工なうどんができ上がった。
待ってましたとばかりに、息子は市販の麺つゆにうどんを浸し、猛烈な勢いですすり始めた。味の感想は聞くまでもなかった。私は苦笑しながら、息子に告げた。
「今度はプロのうどんを食べに行こう。池袋と上福岡にいい店を知ってるんだ」
その日、巨人は3対6で広島に敗れた。激しいCS争いが繰り広げられるなか、悲嘆に暮れた巨人ファンも多かったに違いない。
だが、こんな時こそうどんを食べてほしい。
おいしい手打ちうどんを一口すすれば、爽快なのど越しとともに「ピンチの後にチャンスあり」という金言が蘇ってくるはずだ。
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