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日本人離れした飛距離と弾道、忘れられないホームラン

 今年でプロ17年目になった。ここまで長くできた理由は、谷繁政権に移行した14年のオフにある。波留敏夫コーチ(現オリックス育成チーフコーチ)と二人三脚で大きな打撃改造に取り組んだことが転機となった。それまでダウンスイングだった軌道を、思い切ってアッパーに変えてから理想の打撃へ道筋が見えた。

 15年の春季キャンプ、オープン戦でも好感触をつかみ、迎えた3月31日の巨人とのホーム開幕戦(ナゴヤD)。好投手・杉内俊哉から1打席目で本塁打を放った次の打席だった。「2打席目でチェンジアップをライト前にタイムリーを打てた。あの1本は、秋から徹底的に打撃を磨いてきて、今までにない感覚で打撃ができた。レベルアップした1本でしたね」。

 一方で、生粋の長距離砲でもある。積み重ねた本塁打は84になった。以前、記者が聞いたプロでの目標に「100本打てたらうれしいですね」と福田は答えていた。その中でも忘れられない1本がある。

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「あのホームランを打つまで僕は『いつもチャンスで打てない、チャンスに弱い』っていうイメージがあったと思う。そのイメージを変えることができた。あの感触は今でも忘れていない」

 2016年6月の阪神戦(ナゴヤD)。3回無死満塁で、カウントは2-2。内角低めにミットを構えた捕手とは真逆の外角高めに来た岩貞祐太の失投をフルスイングで迎え撃った。左翼席上段に着弾するグランドスラム。代名詞の豪快なバット投げを決め、悠々とダイヤモンドを一周した。記者にとっての1本は、中日担当になった19年4月の広島戦で岡田明丈から放った左翼5階席への特大弾。これは日本人の飛距離、弾道じゃないとただただ驚いた記憶がある。

 ともに切磋琢磨し、励ましてきた仲間の存在も大きい。同期入団で、たった一人の同級生だった堂上直倫は特別な存在だ。

「(中学校の)シニアのときに全国大会で試合をして、初めて『何投げても打たれる』と衝撃を受けました。何を投げても全部タイミング合わせてくる。結果ホームラン打たれましたけどね(笑)。何の縁かドラゴンズで一緒になって、しかも高卒が2人だけだった。最初は『負けてられない』と思ったこともありましたけど、もうずっといい仲間という感じです」

 2人とも今季1軍での出場機会に恵まれていない。それでも若手中心の2軍では、大野奨太も含め大声を張り上げ黙々と練習をしている。元気に愚直な先輩の後ろ姿を見てる後輩もチームにはたくさんいる。

 橫浜高時代、たまたまテレビで流れていたアメリカンスポーツブランド「チャンピオン」のCMを見て決めた福田の座右の銘がある。

「『奇跡を信じるな』です。調子や成績が良くても悪くても、全部自分の実力。そのために練習をしている」

 立浪政権となりチームは次世代にかじを切った。だから同世代の福田に、安易に「頑張れ」なんて言葉はかけられない。でも、もう一度あの圧倒的な放物線を僕は見たいと心から思っている。想像を超える一撃を待つファンの一人として、その奇跡は信じ続けていたい。

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