昨年6月にトミー・ジョン手術(TJ手術)を受けて、リハビリ中だったオフにオリックスを自由契約になり、今年のキャンプイン直前にロッテと育成契約を結んだ澤ちゃんこと澤田圭佑が、7月27日に滑り込むかのように支配下登録され、8月9日に本拠地・ZOZOマリンスタジアムで古巣オリックスを相手に一軍復帰登板し好投すると、2度目の登板となった8月12日の西武戦(ZOZOマリン)でも無失点に抑えて、その裏にチームがサヨナラ勝ちをしたことから、実に1563日ぶりの勝利を収めた。今回はそんな澤ちゃんの奮闘記をオリックス側の立場から書いてみたい。
「手術する時点でオリックスとの契約はないと思っていた」
澤ちゃんは2016年にドラフト8位で立教大からオリックスに入団。この年のオリックスはドラフト当たり年で、同期入団には、山岡泰輔、黒木優太、山本由伸、小林慶祐(現・阪神)、山崎颯一郎という面々がズラリと並んでいる。オリックスでは、150キロ超えの角度がついたストレートを武器に中継ぎとして活躍していたが、同期入団の選手や後輩たちからも慕われており、チームにとって影の精神的支柱であったことは、あまり知られていない。復帰戦のマウンドで対峙した頓宮裕真がニヤリと笑みを浮かべたのは、そんな澤ちゃんの復帰を祝っているように見えた。
昨年5月末、「TJをやることになりました」という連絡が澤ちゃんから来た。私のかかりつけの病院は、野球選手がTJ手術を受けることでも有名な病院で、聞くとその病院でTJを受けるという。術後にたまたま私の定期検診日と重なったため、当時はまだ病棟への見舞いが禁止だったこともあり、私たちは院内の床屋で一緒に並んで髪を刈った。そのとき「麻酔が抜けなくてもパン(この病院のパン屋が美味しい)は買いに行きましたよ」と笑っていたのを想い出す。
TJ手術を受けたのにもかかわらず、育成契約を結ばず自由契約になったことで、さまざまな憶測が流れていたが本人は「2021年秋にクリーニング手術を受けて復帰を目指しましたが、実戦復帰の段階で靭帯の機能不全により右肘疲労骨折をしてしまいTJ手術に踏み切りました。手術する時点でオリックスとの契約はないと思っていたので、なんとかNPBに復帰する事を考えていました」と自身は自由契約になることを覚悟した上で、TJ手術を受けたため「球団に対してはなんの感情もなかった」という。
「オリックスにいた時よりも絶対に良い投手になって戻る事をずっと考えてました」
自由契約になったときには「投手陣の方々に本当に心配してもらった」そうで、「まだまだ投げられると言ってくださる人が多かったので本当に嬉しかった」と語る澤ちゃん。「オリックスでは入団当時から偉大な先輩達の背中を見て、野球に対しての向き合い方が学生時代とは変わりました。同期入団の選手もレベルが高く、切磋琢磨できたと思います」とオリックス時代を振り返るとともに、リハビリ中は「絶対にオリックス戦で投げて抑える事と、オリックスにいた時よりも絶対に良い投手になって戻る事をずっと考えてました。それがお世話になったオリックスさんや仲間たちへの恩返しだと思うので」と常に前を向いて励んでいた。
「まだ投げられること」をアピールするため、SNSにキャッチボールの動画をアップするなど、積極的に発信を続けた。そんな澤ちゃんに手を差し伸べたのがロッテである。「ロッテと育成契約が決まりました。背番号は132です」という報告を受けたときは、クリーニング手術前から苦悩を見てきた私も心から安心した。
「リハビリ期間で投げられるのか分からない状態の僕を獲得して頂いていたので、絶対に2023年シーズンで一軍のマウンドに上がってチームに貢献したい」
と、育成契約を結んだときから、澤ちゃんの気持ちは「最短で支配下になって一軍復帰する」「160キロを投げる」という強い想いが固まっていたのだ。