最近あらためて思うのですが、雑誌の「雑」は「雑多」の魅力であると思う。新聞ではやらない下世話視点が満載だ。人間に焦点を当てているからだろう。人間にはいくつもの顔や表情があり、欲望も抱えている。週刊誌は猟犬よろしくそんな部分を獲ってくる。政治ネタだろうが芸能人の不倫だろうが目の前にあれば獲るのが仕事。

 最近だと週刊文春は広末涼子さんの密会現場を取り上げていた。そのうち広末のラブレターまで公開したからさすがにやりすぎではないか? と批判も出た。私も同感だった。でも週刊誌は目の前に獲物があれば獲ってくるからこうなるよなぁ……とも。つまり読み手が問われるのか。そう思った私はあのラブレターの部分は読まなかった。褒めてやりたい。

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「政治家の公と私」について考えた

 そんな週刊文春は広末と同時期にこんな「獲物」もくわえてきていた。

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『“岸田最側近”木原誠二官房副長官 シンママ愛人に与えた特権生活《ディズニーデート撮》』(週刊文春 6月22日号)

 読み手にとってはほんとに多彩なメニューだ。私は木原記事のおかげで「政治家の公と私」についても考えさせられた。

 というのも昭和の頃は、政治家の下半身ネタをマスコミは問わなかった記憶があるからだ。むしろ田中角栄などは武勇伝のように言われていた。潮目が変わったのは平成元年のサンデー毎日による当時の宇野宗佑首相の「スクープ」だったと思う。

『宇野新首相の「醜聞」スクープ 「月三〇万円」で買われたOLの告発』(サンデー毎日1989年6月18日号)という見出しで、当時40歳の女性Aさんが芸者をしていた85年、宇野氏と金銭を介した性的関係を結んでいたと暴露したのだ。

プライベート報道の線引き

 首相になったばかりの宇野氏にこのスキャンダルが直撃。参院選にも負けてわずか2カ月の短命政権に終わった。政治家のプライベート報道は是か非か? 当時のサンデー毎日編集長だった鳥越俊太郎氏はこう話している。