「ものすごく危険なテレビですよ、これは。こんなこと許せません。絶対許せません。それやったら幽霊がいることをはっきり実証してください。除霊師の部分も。いるかいないか、わからんまま終わらさんといてください。いないと断定して終わるのがテレビです」
騒然とした雰囲気の中、「全部カットするか、僕がこの番組辞めるかどっちかです」と啖呵を切って上岡はスタジオを退出。当日は2本録りの予定だったが、残りの1本は収録されなかった。
「その時ですわ、ぼくが霊やの宗教やの御祓いやのを信じんようになったんは」
上岡がオカルト嫌いになった理由は、母・タマが乳がんにかかって死の淵にいるとき、さまざまな宗教家によって食い物にされたからだ。
母の乳がんが発覚したのは上岡が小学4年のとき。両方の乳房を切除したが、がんは体中に転移しており、最期のときを自宅で過ごすために帰ってきた。そこへやってきたのが祈祷師などの宗教家たちだった。
「その時ですわ、ぼくが霊やの宗教やの御祓いやのを信じんようになったんは。あのころは宗教の勧誘がそらすごかった。枕元で踊るおばはんとか、榊持って部屋中『カーッ!』てなこと叫びながら回る人とかね。部屋の四隅に水置いといてね、『順番にその水を飲ましていきなさい』とか。冬ならともかく、夏の日にずっと置いてる水飲ますなんて、誰が考えても衛生上悪い。で、捨てるでしょ。一週間して、
『どうです?』
『ええ、飲ましてます』
『道理で日に日に良くなってる』
嘘つけ。誰が見ても日に日に悪うなってる」(『上岡龍太郎かく語りき 私の上方芸能史』ちくま文庫)
結局、母は上岡が6年生のときに亡くなった。また、上岡は父・為太郎の影響も強く受けている。弁護士だった父は「宗教は麻薬だ」とはっきり言う無神論者だったという。
「うちの親父は子どものころから無神論者の極致でした。ぼくが小学校六年の時に死んだ母親の仏壇がない。墓がない。墓参りがない。法事がない。だから坊さんに会うことがない。そういう家に育ってますから、親父の葬式出さないかんねんけど、葬式業者呼んで『何宗ですか』と言われてもわかりませんでした」(同上)
上岡のオカルトに対する忌避感は、幼い頃に死別した母に関する一種のトラウマと、敬愛する父からの影響から生まれていたのだ。