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「助けて!」無視された子供の叫び、広がる血だまり、そして遺体をあさる野犬…ロシア軍がなだれ込んだマリウポリの“阿鼻叫喚”

『戦時下のウクライナを歩く』より#2

2023/08/01

genre : ライフ, 社会, 国際

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「私の命は、実のところ風前の灯だったのです。空爆の直前に劇場3階の『会計部』の部屋へ行き、掃除をしていたからです。そこから地下壕へ戻るのが遅ければ、死んでいました。1階から3階にいた人々は助かりませんでした」

 マリウポリ劇場には多くの子供が避難していたのに、なぜ空爆されなければならなかったのか。劇場前には、ロシア語で「子供」と白い文字で、「警告」の言葉も描かれていた。なぜロシアはそれを無視したのか。私は理解できず、ベーラさんにどう思うか尋ねた。

「ロシア人の考えていることは私もまったく理解できません」

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 劇場前のスペースに「ДЕТИ(子供)」の4文字を描いたのは劇場スタッフだったという。

「演劇用品の絵具を使って巨大に描いたので、ロシアの戦闘機パイロットの目にも必ず入っていたはずです。実際、多くの子供が中にはいて犠牲になってしまいました」

路上に散乱した遺体を食べる野犬

 劇場から外に出ても、危険なことには変わりなかった。地上では陸上部隊による砲撃が続いていたからである。

「隣町へ逃げる途中のことです。ある通りで二人の男性が路上に穴を掘っていました。私は、なぜそんなことをするのか、その時は分かりませんでした。彼らは、女性を穴の中に入れようとしていました。今考えると、女性はすでに亡くなっていたのでしょう。あまりにも多くの市民が死んだので、お墓が足りなかったのですね。後になってから『野犬が路上に散乱している遺体を食べるので、仕方なくマリウポリ市民は路上に墓穴を掘った』と聞きました」

 ベーラさんはマリウポリを脱出し、ウクライナ中部の町にいったん落ち着いた。そして、ある日、そのもとに同僚だったマリウポリ劇場の女性演出家から電話が入ったという。

「ウジホロド市で劇場を再建したいのです」。演出家はそう言って、ベーラさんも来るように誘った。ウジホロドはスロバキアに接する最西部の町だ。そこで廃墟になった劇場を一から再建しようというのである。

 国の西端にいる演出家に、私は首都キーウで借りていたアパートから電話してみた。彼女がマリウポリを脱出したのは、なんと侵攻開始日の2月24日だったという。「すぐに避難を決めました」。市民の多くが脱出を躊躇していたのに、なぜそんなに早く決断できたのか。

「『ロシアの世界』は、甘いものではないのです」

 彼女はそう答えた。ロシアの世界とはなんなのだろう。私は、その意味を聞きたくなり、演出家に会ってインタビューするために、ウジホロド行きの夜行列車に乗った。

「助けて!」無視された子供の叫び、広がる血だまり、そして遺体をあさる野犬…ロシア軍がなだれ込んだマリウポリの“阿鼻叫喚”

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