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「助けて!」無視された子供の叫び、広がる血だまり、そして遺体をあさる野犬…ロシア軍がなだれ込んだマリウポリの“阿鼻叫喚”

『戦時下のウクライナを歩く』より#2

2023/08/01

genre : ライフ, 社会, 国際

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「そこで死んだ人もいましたし、ステージ脇の俳優が待機する場所にも人がいたのです。ステージ正面の客席は爆撃後も残ったのですが、火事で燃えました。僕は、避難した場所が中央ステージから離れた場所の地下だったので助かったのです」

「3発目の爆弾が落ちるかもしれない」と考えたアルチョムさんは、劇場の外へ急いだ。

「その時、外に出られたのは、(約500人中)50人くらい。劇場内では血だまりも、たくさん見ました」

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「助けて!」という声も1分で途絶えた

「『助けて』という声は、1分くらいで途絶えました」

 アルチョムさんと同じ地下壕にいた、マリウポリ劇場の音楽監督ベーラ・レベジンスカヤさんは、私とのインタビューで、瓦礫の中から助けを求める人たちの声は長く続かなかったと思う、と語った。即死状態だった人が多かったようだ。音楽監督らしい独特の言葉づかいで、「その瞬間」を振り返った。

 

「戦闘機の飛行音がした後、『ヒュー、ヒュー』という音がだんだん大きくなり、頭上に何か落ちてくるのを感じました。そして、『タン』という音がした後、一瞬静けさに包まれると、直後に叫び声や『助けて』という声がしました。何がなんだか分からなくなりました」

 ベーラさんは、「俳優の女の子たちがいない!」と、そばにいた男性に叫んだが、男性は「逃げよう。はやく」とだけ言った。ベーラさんが地下壕に連れ込んだ飼い猫の「ガービー」もいない。その名を何度か呼んだが、見つからない。ガービーは空爆の直前、予感がしたのか毛を逆立て恐怖心をあらわにしていたのだが、こうなってはどうしようもなかった。

多くの子どもが避難していた劇場をなぜ空爆する必要があるのか

 ベーラさんは、仲間や猫のことは諦めざるをえなかった。「死」が間近に迫っていた。パスポートなどの入った手提げ袋を一つだけ手に持ち、地下壕から地上へ通じる階段へと向かった。階段を上がると、踊り場には遺体が二つ横たわっていた。ほかの場所にも遺体が散乱している。外の気温はマイナス10度。劇場から逃げ出せた人たちはベーラさんも含め、簡単な衣服しか着ていない。みな震えが止まらなかった。でも、生きているだけでも幸運だった。

 ロシア軍の空爆で、マリウポリ劇場は1階から3階まで崩れ落ちてしまった。無事だったのは、地下壕の一部だけだったという。