追い詰められ、頭に手榴弾を当てて……
「首なし兵士」は追い詰められて、手榴弾を頭に当てて爆発させ、自決したのだろうか。
先の大戦では大勢の日本勢が自決によって絶命した。背景として知られているのは、1941年に東条英機陸相が説いた軍人の心得「戦陣訓」がある。その一節である「生きて虜囚の辱を受けず」を多くの兵士は忠実に守り、捕虜になることを拒み、自決を選んだ。
きっとこの兵士もその一人だと僕は考えた。だから、その時点の僕は、頭がない遺体が多い理由を探ろうとはしなかった。
この壕の入り口は高さ約10メートルの崖の最下部に掘られていた。地下に向かうのではなく、洞窟のように横方向に掘られていた。全長14メートル。壕の天井の高さは4メートルほどだった。不必要に感じるほど高い。手で掘った跡があるのは壁面だけだ。そのことを考えると、もともと4メートルの高さがある天然の洞窟を利用してつくられた壕だと思い至った。
入り口付近の岸壁は被弾した穴だらけだった。
弾も水も食料もない地獄の戦場
壕の入り口から海を見渡すと、硫黄列島の一つである「北硫黄島」が見えた。地図によると、約80キロ離れているとのことだが、肉眼で見ると格段に近く感じる。硫黄島は、弾も水も食糧もない地獄の戦場だった。ここからイカダで脱出を試みる兵士が相次いだ、との生還者の証言を思い出した。これだけ隣の島が近くにあると感じられると、脱出の試みも無理はないと思った。ちなみに、北硫黄島への脱出が成功したという記録は、日本軍側にも米軍側にもない。