2016年5月31日。覚せい剤取締法違反によって有罪判決を受けた清原和博氏。清原氏は執行猶予期間中、薬物依存症やうつ病に苦しみ、自殺願望を抱え、もがき続けていたという。いったい彼は、どのようにして苦痛と向き合いながら生活していたのだろうか?
ここでは、清原氏が薬物依存の怖さ、うつ病との戦い、家族の支えについて語った『薬物依存症の日々』(文春文庫)より一部を抜粋。彼がどんなきっかけで覚せい剤に手を出し、薬物に溺れていったのかを紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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現役引退後に感じた「満たされない気持ち」
振り返ってみると、ぼくが覚せい剤を手にするきっかけになったのもほんの小さな心の穴でした。
おそらくだれにでもあるような満たされない気持ちでした。
2008年10月1日。オリックスで現役を引退した翌日から、ぼくにとっては第二の人生がはじまりました。バットを握らなくなりました。もう手術した左膝の状態を朝から晩まで考えなくてもいいし、もう打たなければならないという緊張や重圧も感じなくてもいい。最初はすごく解放的な気分でした。
家族と過ごす時間が増えて、週末になれば長男が出る少年野球の試合を見に行くことができました。
いっしょにスポーツ用品店に行って、バットやグラブを買う。
バッティングセンターに行って「もっとこうやって打った方がいいよ」と教えてあげる。
ぼくの言ったことを息子が聞いてくれてどんどん上手くなっていく。
こいつ才能あるなあと、親バカのようにうれしくなっているぼくがいる。
毎週、毎週、息子の試合の日が待ち遠しくてしかたありませんでした。今までに手にしたことがなかった種類の幸せを感じていたんです。
今思うと、これ以上ないという幸せの中にいたはずなのに、あの当時のぼくはそれに気がついていませんでした。
野球をやめた瞬間からどこかぽっかりと心に穴が空いたようで、いつも何かが足りないような気がしていました。
つまり自分がもうホームランバッターではなくなったということを受け入れることができなかった。あのホームランの快感をどこかで追い求めていた。それに代わるものを探していたんです。