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致死量を超えていた

 ほんとうに何もかもがテキストに書いてある通りで嫌になってしまいます。

 家族を失ったぼくはそれで薬物をやめるどころか、孤独を埋めるためにどんどん薬物を使うようになっていきました。

 もう半分は自暴自棄になっているので「あぶり」では物足りなくなって注射器を使って、静脈から直接体内へと入れるようになっていったんです。

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 薬物を使うと頭がすっきりと冴(さ)えて何日も眠らなくても平気になります。ただ効き目が切れると何日間か死んだように眠り続けるんです。

 人間の脳というのは快感を覚えると、次からは同じ快感では物足りなくなってしまいます。さらに強い刺激を求めるようになって、薬物はとめどなく増えていくんです。

 これはあとから先生に聞いたことですが、ぼくが使っていた覚せい剤の量は致死量を超えていたそうです。あのころは失うものなんてなかったですから、やけになっていたんだと思います。

 あまりに大量の薬物を使ったために気を失ってぶっ倒れて、病院にかつぎ込まれたこともありました。医学用語でいうところの「オーバードーズ」で、そのときは頭に電気を流してかろうじて命をとりとめたような状態だったそうです。

©文藝春秋

 もうそのころにはまわりに残っている人たちはみんな、ぼくが薬物依存だと知っていました。父も母も、一部の友人たちも……。

 それでもぼくはまだそんな自分を隠しながら、薬物はやめられると信じていました。

 このままじゃダメだ、もうやめよう、もうやめなければいけない。そう思っている自分がいる。でも結局はやめられない。薬に逃げて、そんな自分に失望して落ち込んで、自分を責め続けてまた薬に逃げるという繰り返しでした。

 命の危険にさらされたのに、さらにそれ以上の薬物を体内に入れてまた倒れました。

 集中治療室のようなところに入っているぼくのもとへ両親は駆けつけて、お母さんは医師の足にすがりついて泣いたそうです。

「お願いです! 先生、なんとかこの子を助けてやってください!」

 それでもぼくはお母さんに薬物のことを打ち明けることができませんでした。自分ではどうにもならないから助けて欲しいと、だれにも言うことができませんでした。

 やがて、もうこんな自分をやめるには、命を絶つしかないと考えるようになりました。

 ただ、どうやって死のうか考えたとき、ぼくには短刀で腹を切るということくらいしか思い浮かびませんでした。そこで突然、刀を作っている職人さんのところに電話をかけて「短刀を売ってもらうことはできませんか」と相談したりしました。

 それでも結局は死ぬことさえできませんでした。

 気づけば現実逃避のために覚せい剤を注射している自分がいる。薬物という泥沼に首までどっぷりとつかって、もがくことさえ、身動きすることさえできない。

 逮捕されたのはまさにそんなときでした。

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清原 和博

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