2016年5月31日。覚せい剤取締法違反によって有罪判決を受けた清原和博氏。清原氏は執行猶予期間中、薬物依存症やうつ病に苦しみ、自殺願望を抱え、もがき続けていたという。いったい彼は、どのようにして苦痛と向き合いながら生活していたのだろうか? 

 ここでは、清原氏が薬物依存の怖さ、うつ病との戦い、家族の支えについて語った『薬物依存症の日々』(文春文庫)より一部を抜粋。薬物依存症とうつ病の治療をしていた彼が、執行猶予期間中に酒に呑まれて騒動を起こしてしまった理由は——。(全2回の2回目/1回目から続く)

清原和博氏 ©文藝春秋

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野球もホームランも消えて心にぽっかり穴が

 ぼくがお酒に飲まれるようになったのはいつごろからだったのか……。

 やはり野球をやめて、日々の目標が見つけられなくなってからだったような気がします。お酒を飲むことの意味がだんだんと変わっていったんです。

 現役を引退してから野球もホームランも消えて心に穴が空きました。それを埋めるために、だんだんとお酒の量が増えていきました。お酒をたくさん飲むと気持ちが大きくなって、自制心を失っていくような感覚がありました。初めて覚せい剤を使ったときも、かなりアルコールがまわった状態でした。

現役時代の清原和博氏 ©文藝春秋

 つまりお酒が引き金になって覚せい剤に手を出してしまったんです。

 だから先生(編注:清原氏の薬物依存症の主治医である松本俊彦医師)はアルコールには気をつけろと、口を酸っぱくして言うんだと思います。

 逮捕され保釈されたばかりのころは、お酒を飲む気にすらなりませんでした。うつ病の症状がひどかったですし、気持ちがお酒に向かう余裕すらなかったというのが正しいのかもしれません。それにそのころに使っていたうつ病の薬は「アルコールと併せて飲んでしまうと自殺の危険性がかなり高くなる」というものでしたから、怖ろしくてアルコールに手を出すことはありませんでした。

 ところが甲子園の決勝へ行って、自分の心と体が少し動くようになってきてからは、だんだんとまたお酒を飲むようになっていったんです。

 そのころのぼくには「飲みたい」と思えること自体が幸せに感じられました。それまでは気分が高揚することなんてほとんどありませんでしたし、一日の中にまったく喜びを見出すことができませんでした。そんなぼくが、ようやく少しずつ元に戻れている。お酒が飲めるというのがそのひとつの証のような気がしていたんです。

 部屋に閉じこもっていたどん底の状態から、外に出てトレーニングをして、苦しくてもそれを続けて、そして100回大会の甲子園へ行くことができた。その達成感から、お酒もすごく美味しく感じるようになりました。