軽い気持ちで覚せい剤に手を出した結果、いちばん大切なものを失った
昔からぼくには趣味がありませんでした。ゴルフにもギャンブルにも夢中にはなれない。野球解説者の仕事にも、タレントとしてテレビ出演する仕事にも、没頭することができませんでした。つくづく野球にしか夢中になれない人間で、野球がなくなったことに対する空白感というのがずっとありました。結局、ぼくは自分の手にあるものに目を向けることができず、失ったものばかりに目を向けていたんだと思います。
そしてぼくは自分のことをだれよりも強い、だれにも負けない人間だと考えていて、つまりは傲慢(ごうまん)だったんです。
自分が描いていた清原和博というのはこんなものじゃない。そう悩むようになって、その心の喪失感を埋めるために、夜の街に飲みに出ることが増えていきました。
あのとき、自分はどういう人生を歩みたかったのか、よくわかりません。ただただ歓声と快感と刺激を求めていたような気がします。
お酒の量がどんどん増えていって、溺れるようになっていきました。
そんなとき夜の酒場で薬物を持っているという人間に出会いました。その人物は白い粉を出して、これをやれば憂うつなんか吹っ飛んでしまうと言いました。そこでぼくは本当にもう軽い気持ちでそれを手にしたんです。
目標を持てず、何者なのかわからない自分が嫌で嫌で、そういう自分から逃げだしたくて、酒を飲んだ勢いでやったんです。
その1回がすべてでした。あとから考えれば、そこからはもう転げ落ちるようでした。
自分ではいつもの自分でいるつもりでした。嫌な気持ちを忘れるために夜な夜な酒を飲んで、覚せい剤をやって、それでも家に帰ればいつものように家族と過ごしている。
家族のまえではいつもと同じ父親でいる。「アパッチ」(編注:子供たちは清原氏をそう呼んでいた)でいる。そうしているつもりでした。
ただ夜になると、家族には言えないもうひとりの自分がいる。はじめは少量の覚せい剤を水で溶かして、それを熱してからストローなどで吸引する「あぶり」という方法でやっていたのですが、だんだんと量が増えていきました。
そうしているうちに覚せい剤を買いにいくために友人や知人との約束をすっぽかしたり、仕事もすっぽかしたり、家族との時間さえ削っていくようになりました。
記憶も曖昧(あいまい)になっていって、自分がどういう行動をしたのか、だれに何を言ったのかもわからなくなっていくんです。暴言を吐いたり暴力を振るったという記憶はないんですが、あとから考えると、そういうこともあったのかもしれないと怖ろしくなります。
おそらく元妻の亜希はそれに気づいて、ずいぶん悩んだのだろうと思います。
でもぼくはそのことに気づいていない。相変わらず「ちょっとだけ不安から逃げるために薬をやっているだけ。いざとなったらいつでもやめられる」と考えていました。
そのときにはすでに薬物に支配されていたんです。
そして、ある日、家に帰ったらだれもいませんでした。
荷物も何もかもなくなっていて、もぬけの殻(から)です。
ぼくがいちばん大切なものを失った瞬間でした。
それでもまだぼくは何が起こったのかを理解できず、受け入れられず、息子が試合をやっているグラウンドや学校にまで行って探しまわったんです。