Sちゃんと出かけた銭湯で、知らないばあさんに「なんや、40週なのにぜーんぜんお腹下がってきてないやないか」とデリカシーのないことを言われて発狂しそうになったり、そうかと思えば「おしるし」という、本陣痛がはじまる予兆と言われるイカの塩辛にそっくりのねばねばした出血がでろーんと膣から出てきた時には、狂喜乱舞してM先生に画像を送ったりした。M先生曰く、おしるしにテンションが上がって写真を送ってくる妊婦は一定数いるらしい。
これだけ準備万全なのに、○ちゃんはなぜ生まれてこないのだろう。
私が「ちょっと待って」と言ったから、ヘソを曲げてしまったのだろうか。私は心の中で泣いて謝った。
○ちゃん、すみませんごめんなさい、もう何もリクエストしません。お母さんは多くを望みません。あなたが無事出てきてくれるだけでじゅうぶんです。だからできれば41週までに産まれてきてください、早く、早く、早く。
私の声が聞こえているのかいないのか、○ちゃんは腹の中でグルングルンと動き回り、ドコドコと蹴った。彼女が何を考えているのか、どうして出てこないのか、まったくわからなかった。
最初の頃、M先生がふと漏らした言葉が繰り返し頭の中に浮かんできた。
「お産ってのは、出てくるまでどうなるか、だぁれもわからん。けど出てきた赤ちゃんを見たら、どうしてそういうお産になったのか、ぜぇんぶわかる」
妊婦、大文字山に登る
40週5日。あと2日で病院出産に切り替わるという日、M先生は言った。
「願掛けも込めて、大文字山に登りましょう」
M先生曰く、登山の体の動きが陣痛を引き起こすのによいらしく、山に登ったあとに産気づく妊婦は多いのだそうだ。
2月の寒い山を、私はM先生とM先生の息子さんと夫とともに、腹の痛みと腰痛と息切れとで、ヒイヒイ言いながら登った。
ここ数日、私と夫との仲は険悪だった。あまりに産まれてこないので、私は東京の鍼灸のA先生にLINEで相談をしていた。A先生は言った。
「セックスしたら良いと思います」
なるほど、と私は思った。というのも、精子には子宮を収縮させる効果があり、臨月の妊婦の間では「お迎え棒」と言って陣痛を起こすために夫と(に限らないが)セックスするのはポピュラーな方法なのである。
私は夫に「お迎え棒」を入れるよう頼んだ。妊娠9ヶ月くらいから、夫は○ちゃんのことを気にしてセックスを控えるようになっていた。頼んだ時も、夫は「ええー」と言った。
「だって、○ちゃんの頭が触れるくらい近くにあるのに、俺のちんちんが当たっちゃうよ」