「私は明らかに“ママタイプ”じゃない」

 そう思っていた作家の小野美由紀さんが子どもを作ると決めたのは35歳の時。仕事もある程度軌道に乗り、3年間付き合った男性と「ひょんなことから」結婚した後、むくむくと「産みたい」欲望が湧いてきたのだという。

 ここでは、小野さんが絶えない不安と希望に揺れ動きながら、コロナ禍で妊娠・出産するまでの一部始終を綴ったエッセイ『わっしょい妊婦』(CCCメディアハウス)より一部を抜粋。

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 出産直前で新型コロナウィルス陽性になってしまい、緊急入院して2日後に破水した小野さん。看護師に「破水してから72時間は経過観察」と言われて安堵するが……。(全2回の2回目/前回を読む)

◆◆◆

分娩室に向かう

 私は心の底から安堵した。

 72時間、つまりあと3日間はノー処置、ということは、あと3日間は自然の流れに任せて粘れるとのことだった。もし72時間後に帝王切開になったとしても、隔離期間は短くて済む。この地獄のような痛みが72時間続くとしても、赤ん坊と会えないよりはましだ。痛みに身悶えつつも、私は心の中でガッツポーズを繰り出した。

©AFLO

「あと72時間、あと72時間」

 念仏のように唱えながら、1分が1時間のように感じられる痛みに私は耐え続けた。ダウナー一色だったこの隔離生活に、一筋の光が差した。1日は24時間、1時間は60分、60分は3600秒、限りなく分割した時間のマスを極細のシャープペンシルで一つ一つ塗りつぶしていくような途方もなさ、それに対する「まじ?」と、それでも終わりがあるのだという希望が行ったり来たりし、こうしていればなんとか耐えられるような、耐えられないような、いけるかもしれないが到底いきたくないような、そんな気分一色で、私はひたすら1人、拷問のような痛みに向き合い続けた。午後3時頃、急にナースコールがなるまでは。

「先生が分娩室に来てって言うてはります」

 恐ろしく聞き取りにくい声で、誰かがそう言った。

「はい?」

 聞き間違いかと思い、私は聞き返した。

「とにかく行くことになりましたから。あとで説明します」

 ナースコールは切られ、光の速さで例の車椅子が運ばれてきた。

「はい、これ今すぐ乗ってね。あ、お産に必要なものは持っていって」

 状況が飲み込めなかった。