戦争をはじめるのは、じつに簡単。ボタンを押すだけだ。
スケール感は、あなたのお好みで。個人的な闘争から、国家間の争いにいたるまで、ビデオゲームには、いろんな作品がある。
わたしは、ビデオゲームが大好きだ。命乞いをする敗者の額に銃口をつきつけ、トリガーを引いたこともあるし、同盟国すべてを巻き込んだ世界大戦の火蓋を、切って落としたこともある。星々がまたたく無限の虚空に出て行って、同類やエイリアンと戦ったことも。下等な動物たちを捕縛し、飼い慣らし、使役したことも。ひどいやりかたで女のひとを手籠めにし、性的な興奮を覚えたこともある。それらのすべては、とても楽しかった。
現実でも、戦争をやっている。この戦争は、わたしには、ビデオゲームのように見える。
つい頭をよぎる希望的観測
遠いモスクワの、クレムリンの王様が、なにを考えているのかは、戦場の霧でぼんやりして、わからない。
わからないから、希望的観測をする。
この戦争は、八百長である、とすればどうか。
というのも、われわれ人類は、疫病を経て、おおいに疲弊した。
重苦しい喪の空気が、地球を覆っている。経済が廻らない。物資が行き届かない。人心が乱れる。
疫病の対応が万全だった国などないから、指導者たちはみんな、不安をもっている。そもそも、各国の統治形態それ自体に、疑いの目が向けられている。このままでは、世界の秩序が崩れ去るのではなかろうか。
そこで、東西先進国の首脳たちが集まって、相談することになった。
その席で、プーチンさんが言った。
「このおれに、いい考えがある」
「ここにいるみんなで、戦争をしよう」
「軍需品を生産すれば、経済効果がある。戦争の模様をつぶさに、お涙ちょうだいで報道すれば、それぞれの国の国民は、愛国心を煽られて、一致団結する。なにより、この鬱々とした雰囲気が、戦場の景気のいいどんぱちで、夏のシベリアみたいに晴れるだろう。心配するな、悪者の役は、おれがやる。まだまだ元気だが、老い先短い身だ。人類のために、一肌脱ぐよ。みんな、どう思う」
いい考えだ、すばらしいと、みんなが賛同して、戦争をやることに決まった。
人民の、戦争への関心が薄れるころには、みんな疫病のことも忘れたから、戦争もおしまいにする。そうしたら、プーチンさんは役目を終えて、ゼレンスキーさんに王様を替わる。なにせ、戦闘地域から避難せず、屋外で国威発揚な動画撮影なんかしたりして、たいへん英雄的な方である。あんなことをして狙撃されないなんて、ふしぎだが、やっぱり英雄だから、運命のほうが恥じ入ったのだろう。