ウクライナで取材中の不肖・宮嶋のもとにハルキウ在住で旧知の映像作家デニスから情報提供があったのは、ウクライナ南部の都市ドニプロの集合住宅がロシア軍による攻撃で子供も含む35人以上の民間人が犠牲になった日の夜であった。ロシア軍と激戦が続くバフムトに遠征中で一緒に行けないが、とデニスは前置きしてから、ハルキウのクラブでロシア軍の侵攻後初のコンサートが開催されるというので行ってみてはどうだという提案であった。(全3回の3回目/#1、#2を読む)
侵攻後初の「パンク」のコンサートへ
前回ハルキウに滞在した昨年6月には、侵攻後初めてのロック・コンサートは取材済みである。その際はもうコロナ禍がウソみたいな密集、密着、密接の三密ぶりに加え、アーティストらのシャウトっぷりにもぶっ飛んだもんやが、この日は侵攻後初の「パンク」のコンサートが開かれるというのである。
実はハルキウのプレス・センターともいうべきハルキウ・メディア・ハブからも情報提供があった。同じく侵攻後初のコンサートが同じ日の同じ時間帯に開かれるというが、こちらはジャズということであった。さて、どっちに行ったもんやろか。ここは恩と名をメデイア・ハブに売るのも手やが、カメラマン的にはやっぱ、パンクやろ。
芸術で学位をとった不肖・宮嶋やが、音楽の才能の片鱗すら自覚したことは一度もない。パンクとロックの違いも、ディスコとクラブの違いも分らんというのに、なんで還暦すぎになって、パンクのコンサートなんか撮らんといかんのや。しかもウクライナで。しかも同じウクライナ南部のドニプロでロシア軍による無差別攻撃で犠牲者が出た日である。
タバコやジョッキを手に若者が溢れだし
それでも午後7時にはコンサート会場となった「ポー・パブ」にはガキどもが集まりだした。「ロック・コンサート」を取材した「ワイズマン・クラブ」はまだちゃんとしたライブハウスやったけど、ここポー・パブに設えられた舞台は床から10センチくらい高いくらいで、広さは3畳ほど。ドラムセット置いたらアーティストは身動きとれんほどである。そもそもウクライナに、しかもハルキウにパンクのアーティストなんかおるんかいな? そもそもパンクなんかアーティストと呼べるんやろか?
かくして地下1階のポー・パブの入り口や表通りにはけったいなかっこしたガキどもが厳寒の夜にもかかわらず、タバコやジョッキを手に溢れだした。店内は真っ暗、おりからのロシア軍のインフラ施設への攻撃でこのあたり一帯は午後からずうっとブラックアウト(停電)したまんま。それでも発電機をどこからか調達したのか、店内奥からエンジン音が聞こえるたびに、カウンターの近くのスポットライトが点滅した。
聞こえるたびにというのは、ライトを点灯したり、アンプのボリューム上げたり、その他機材チェックをして電力つかう度にヒューズがぶっ飛ぶからである。店内は20畳くらいやろか、テーブルはとっぱらってカウンターだけの有様であった。奥のほうにVIPルームらしきやはり15畳くらいのスペースがあり、発電機はその奥の1階においてあるみたいであった。
舞台らしきスペースにはドラムとエレキギター、そしておそらくベースのにいちゃんが3人、ボーカルのけったいな厚化粧したねえちゃんが1人。マイクテストというかチェックするたびに耳障りな奇声を発しまくる。集まってきた男女約50人ほどのガキどもも趣味悪そうなかっこである。この連中が、コンサートの始まる前から、なんか悪いクスリでもやってんのちゃうかと疑いたくなるように震えているのであった。