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翌日は「絶叫」と「轟音」のぶっとんだパンクコンサート

トリは一番ぶっとんでいたベズラドというバンド。もうやりたい放題。しかし、人間、武器と精神力だけでは戦えない。前の大戦でも吉本の芸人らが「荒鷲隊」をもじり「わらわし隊」を結成、中国大陸の戦線まで慰問に行った。あのマリリン・モンローも朝鮮戦争中の米軍を慰問し大喝采を浴びたという。やはり戦士には休息が、戦争にも娯楽が必要である ©️宮嶋茂樹

 そして翌日。昨日の中断の不満もあってか、こないだのロック・コンサートが学芸会に見えるほどのぶっとんだコンサートであった。このノリに還暦過ぎの不肖・宮嶋よく3時間も耐えたもんである。この騒音でまた耳が遠くなった。特に最後のバンド、ベズラドの悪ノリはすさまじく、観客はオツムさかさまになってぐるぐるまわりだすわ、にいちゃんもねえちゃんもそろって歌舞伎役者みたいに髪ふりまわすわ、楽器はぶっこわすわ、そこらじゅうで食器やグラスやボトルがガッシャンガッシャン割れだすわ、あげく観客は舞台みたいなとこ上がりだすわ、とうとうどつきあいまで始める始末であった。ロシア軍との最前線なみに危ない現場であった。

©️宮嶋茂樹
コンサートというよりプロレスである。理解に苦しむ ©️宮嶋茂樹
こないに狭いとこで、飛び跳ねたら、危ないですがな ©️宮嶋茂樹
そんなにすごいわざとも見えんが周りは大喝采。頭の痛さも忘れるくらい、この
雰囲気に呑まれたか ©️宮嶋茂樹
ロックのほう ©️宮嶋茂樹

 事実、引退試合の大仁田厚みたいに顔面血まみれのねえちゃんが狂ったように踊っていた。みな、アルコールのせいかこのパンクのビートのせいかわからんが、酔いに酔っていた。これでロックとパンクとロシア軍の侵攻後初のコンサートを撮影したことになるが、いまだ「パンク」と「ロック」の違いがさっぱりわからん。午後9時には「スラバ!ウクライナ(ウクライナに栄光あれ!)」の掛け声のあと観客全員で大合唱で国歌を歌い、コンサートはお開きになった。

言わんこっちゃない。そんなに頭ふりまわしたら、流血とまらんぞ ©️宮嶋茂樹
パンク野郎は日本の歌舞伎を勉強しているんやろか? のってくると男も女も髪を振り回す。しかし、若いのう、よう目を回さんもんや ©️宮嶋茂樹

歌い踊り狂った後は、すぐ家路につきはじめ

 そうなるとスタッフなんかが打ち上げで残った以外、観客はすぐ家路につきはじめた。このあたりも平和ボケして、いつまでもぐだぐだ通りにたむろしてくだまく、渋谷のハロウィンなんかと大違いである。今もウクライナは戦時下なのである。

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 ここらあたりもウクライナの余裕である。今もバフムトではいや南部の前線ではウクライナ軍将兵が戦い続けているのである。中には武運拙く、戦場で倒れたここの観客と同じ年代の若者も多々いるのである。そして、ドニプロではこの前日、ロシア軍の無差別攻撃で子供も含めた35人以上の犠牲者がでたばかりである。そんな日に犠牲になった同胞を追悼するどころか、歌い、踊り狂い、なんて不謹慎な! なんてどっかの東洋の島国の野党議員みたいに目くじら立てて非難するハルキウ市民なんか皆無である。

©️宮嶋茂樹

 しかし、日常を取り戻しつつあるのはロシア軍の姿が消えた地域である。今も南部の前戦は娯楽も電気も温かい食事すらないのが日常である。しかし前線からすぐ近くの後方の銃後にこれほどの日常がもどりつつあるウクライナにまだ勝機があると信じた不肖・宮嶋であった。そんな日常が戻ったウクライナを訪問することすら、我らが岸田首相はなぜためらうのであろう。

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