不肖・宮嶋、またもウクライナの土の上に立っている。
一見日常を取り戻したかのようなウクライナだが、それでも戦時下である。ウクライナ全土がロシア軍のミサイルの射程内にあるのは変わりないし、ウクライナ南東部のバハムトで、いやウクライナ全土で毎日毎日民間人までもが殺されているのが現実である。目の前の巨大ショッピングモールの「ニコルスキー」かて空襲警報が鳴れば問答無用でたたきだされる。親しくなった同業者に前回の下宿先の人形劇団の家族や友人、知り合い、誰かが毎日殺され傷つけられ、誰かが入隊していく。(全3回の2回目/#1、#3を読む)
ウクライナの余裕とも見える生活
それでも、この余裕のある暮らしぶりなんである。これこそがウクライナの民の強みではなかろうか? だいたい危なくなったら焦りだすのが当たり前や。この戦争をおっぱじめたロシアとて同様である。きのうまで銃を手にしたこともない男たちを駆り集めてはウクライナの前線に送り出し、死体の山を築いてるのである。そういうホンマの事を報道したら、「特別軍事作戦」に関するフェイクニュースを流したかどで最悪15年の刑を打てる法案も署名された。実に焦りたくっているのである。
しかしや、このウクライナの奮闘ぶりや余裕とも見える生活はどうしたことであろうか。この侵略戦争が始まった当初、ロシア軍は首都キーウを北西部から包囲しつつあった。爆発音と砲声が止むことはないそんな毎日でも、空爆現場近くのスーパーには新鮮な野菜や肉が並び、便乗値上げもなかったことを思い出す。
地下もすっかり日常を取り戻し
ハルキウの変わり映えは街中だけやないで。地下も激変というか、日常にもどりつつあった。地下鉄駅や車両も今は通常どおりに営業しとるし、一時700人いた地下への避難民も少しのコミュニティーを除き、地上の避難所や親戚や友人宅に身を寄せるようになっていた。このあたりもウクライナの余裕である。今もウクライナの人口4400万人のうち800万人以上が難民と化しているが、アフリカのルワンダ難民や中東のシリア難民のような生活環境劣悪で伝染病が蔓延する難民キャンプのような実態はない。コロナは蔓延しとったが。皆海外の親戚、友人宅に迎えいれられ、普通に生活できるようになったのである。
その地下都市の一つだったフロイフ・ブラッティ駅を訪ねることにした。下宿の最寄りの駅から乗り換えなしである。鉄道インフラが復旧したとはいえ、営業時間は短縮、本数も間引き中である。その代わり、運賃はただの乗り放題。しかし減便中やから肝心の電車を長時間待つはめになる。車のほうが早いのか乗客もまばらである。ホームで待つこと20分、すさまじい轟音と振動とともに列車がすべりこんできた。