集まったガキどもは孫の歳
ボーカルの雑巾を引き裂くような悲鳴でコンサートは始まった。それにしても、目立ちすぎる。バンドがやないで。不肖・宮嶋や。戦時下のハルキウにいる外国人カメラマンというだけで充分目立つのに、この中でただ一人の東洋人、そして間違いなく最年長である。集まったガキどもは孫の歳である。
舞台が狭いからアングルも限られる。もはやスピーカーの横にしか立てないのである。この雑音にしか聞こえない発狂しそうな大音量が2時間。拷問である。たまらず、ティッシュで耳栓作ってスピーカー側の左耳に押し込む。しかし、ここでは場違い丸出しのそんな不肖・宮嶋が、どういうわけかガキどもから大歓迎されるんである。
やれ、「こっちから撮ったほうがいいぞ、ここ開けてやるから」「日本人か? 支援を感謝するぞ」「いやあ武器はだめなはず、発電機と防弾チョッキぐらいだが」「それでもありがたい。いっしょにロシアから領土をとりもどそう!」「こっち来い! 日本人、あんたの写真はどこで見れるんだ?」「おれは今夜最後のバンドのベズラドのセルジイというもんだ。あんたの写真といっしょにぜひうちのインスタグラムで紹介させてくれ」などである。
それにしても去年3月からの付き合いだが、現地映像作家のデニスに撮ってもらった「老日本人カメラマンの記録」と銘打ったドキュメント作品には助けられる。どこに行っても、軍人にすら「あんた見たことあるぞ」と言われ話が早く進む。それに対し、今のウクライナでのわしの仕事を紹介する術がなかなかないのである。代表作の「ウクライナ戦記」(文藝春秋刊)を現地で世話になったデニスらに送ろうにも、自ら運ぶしかないのである。そんなもん5冊もカバンに詰めたら、あっというまに20kg越える。ヨーロッパ便の超過料金はばかにならん。週刊文春オンラインとて、英語のサイトがないので、ウクライナ人からは見向きもされないのである。ゼレンスキー大統領府に相手されるのも、日本のメディアではせいぜいが朝毎読とNHKぐらいである。
突如店内は暗黒に包まれて…
「!」
ボーカルのねえちゃんの悲鳴か歌声がひときわ高く轟いた瞬間、店内は暗黒に包まれ、エレキギターの騒音か調べもブッチと切れ、かわりにため息が充満した。ボーカルのねえちゃんの高音のせいか、店内のボルテージがあがりすぎたのか、発電機のヒューズを飛ばしたのであろう。店長らしきにいちゃんが奥にすっ飛んでいき、しばらくして戻ってきた。
「ロシア人のせいで、このざまだ。明日仕切りなおす。あすは充分な発電機を用意する。また明日同じ時間にきてくれ!」
結局コンサートは中断、順延になった。こうなるんやったら、地元の記者ユージンの誘いに乗ってドニプロの空爆現場行くんやったわ。停電で中止になるようなパンク取材に来るくらいやったら、ドニプロ行っとくんやったわ、ホンマついてない……。
いや、ここでほんとについてない人間をさんざん見てきたやないか。その人たちに比べ、不肖・宮嶋なんぞ結膜炎には罹ったが、五体満足のまま4度もこのウクライナを訪れているのである。不幸にもこの戦争はまだまだ続く。自分をついてないと思ったことを恥じながら、翌日もパンク・コンサートに出かけるつもりの不肖・宮嶋であった。