冷やかし客が興味本位で声をかけてくることも
大阪生まれ大阪育ち。地元の高校を卒業し、20歳で結婚して一女に恵まれた久美さんはそれまで、風俗とは無縁の人生を送ってきた。
ところが夫のギャンブル狂いと浮気を理由に24歳で離婚すると、女手一つで娘を育てるため若専の箱型ファッションヘルスで働くことを余儀なくされた。久美さんの記憶が曖昧で正確な時期はわからずじまいだが、そこそこの実入りを得て人並みの生活を送っていた数年後、ここでまた転機が訪れる。
「で、30歳くらいで泉の広場で立ちんぼをするようになりました。店も客も若い子のほうがいいから、ほら、いつまでも雇ってくれないでしょう」
泉の広場は大阪・梅田の地下街の一角にある、ヨーロピアン調の噴水を目印とした待ち合わせ場所である。2021年に一斉摘発があり、ここで売春をしていた当時17~64歳の女性61人が売春防止法違反で大阪府警に現行犯逮捕されて閉鎖される前までは、有名な街娼スポットでもあった。
なにもいきなり路上に立たなくても。他に雇ってくれる風俗店はなかったのだろうか。
久美さんが60歳以上だと仮定して話すと、時期は1993年ごろ。おりしも欧州ではEUが設立し、国内では改正風適法施行による派遣型風俗店解禁前で、いまのようにデリヘルが乱立していて老いも若きも風俗で働ける状況にない。
限られた選択肢のなかで、残るはフリーで春を売ることぐらいしかなかったと久美さんは持論を述べる。そして泉の広場では1万円ほどの対価を得て男たちに抱かれた。ときには「2、3万で売れることもあった」と回顧した。
こうして長きにわたり街娼一本で生活を続けてきた、ということか。風呂場でしようとした接客術は、路上に立つまでのヘルス経験で培ったものということか。もっとも、もっと割のいい仕事を求めて上京して東京・新大久保でチャットレディの職などに就いたこともあるようだ。しかし、寄る年波には勝てず、それも長くは続けられなかったらしい。(続きを読む)