13歳となった1981年、「東大生が選ぶアイドルコンテスト」で5000人くらい応募があったなかからグランプリに選ばれ、マスコミにもとりあげられる。さらに翌年、映画『ハイティーン・ブギ』で、当時のトップアイドルで主演の近藤真彦の相手役に抜擢され、一挙にスターダムに躍り出た。
《芸能界で生きていく中でのラック、幸運の半分はここで使ったんじゃないかな。その後の10年間、それでもったようなものですからね》と彼女はのちに振り返っているが(前掲書)、熱狂的な近藤のファンから厳しい視線にもさらされた。ロケ現場には200人くらいのファンの女の子たちが集まって撮影を見守り、武田は生卵や納豆を投げつけられたりもした。
それでも本人はいたって冷静で、ファンからの嫌がらせにも、近藤を目の前にしても萎縮することはなかった。《むしろ、これだけ人気者の相手役ができるとはなんてラッキーなんだろう、これくらい当然よ、という感じでした》というから(前掲書)、10代にして肝は据わっていた。映画公開後、変装して劇場まで見に行った武田は、大スクリーンに自分の顔がアップになるのを見て、「私がやりたいのはこれだ」と決めたという。
肌の露出はNGだった
時代はアイドル全盛期であり、どんなに歌が下手でもみんなレコードを出していた。武田も多分に洩れず、レコードデビューし、曲をリリースするたびにヒットチャートのトップテンに入った。
ただ、当時の人気アイドルが男女問わず出演した水中運動会や水泳大会に出たことはない。それというのも、所属事務所の方針で水着もタンクトップも、肌を露出するのがNGだったからだ。
しかし、15歳のとき、初めて男性誌のグラビアで水着になる。この頃にはアイドルとして下り坂にあると感じるようになっていた。コンサートが減り、デパートの屋上や遊園地で歌うようになると、自分のやりたい仕事ではない気がした。
学業に戻るべきかと悩んでいたところ、グラビアの仕事の依頼が来た。そこで、自分はそもそもモデルからスタートしたんだと思って引き受けると、思いがけず反響があった。彼女としてもデパートで歌うよりも気分がよく、自然とグラビアアイドルへ路線変更する。ファンもそれまでは女の子ばかりだったのが、一転して男性ファンが圧倒的に多くなった。