アメリカでは出産のときに担当医が立ち会ってくれることが少なく、ほとんどはそのときの当直医だという。だが、彼女は、ずっと経過を見てきてくれたドクターに子供をとりあげてもらいたくて、アピールし続けたのである。おかげでその願いがかなえられ、担当医の立ち会いのもと、2002年、娘を出産する。
その頃、アメリカでの暮らしぶりを女性週刊誌のインタビューで語ったところ、読者から大きな反響があった。前出の著書『武田久美子という生き方』はそれをきっかけとしてまとめられたものだ。その後も、歳を重ねても美貌をキープし続ける術などについて著書をあいついで刊行し、女性たちの支持を得る。彼女自身の信念に揺るぎはないが、時代によってファン層も、世間での受け取られ方も変わっているのが面白い。
離婚してシングルマザーに
娘が生まれてからは、自分のことは二の次で、子育てに全力を注いだ。離婚してシングルマザーとなってからのインタビューでは、《朝は4時に起きて娘のお弁当を作り、5時前には[引用者注:娘が習う]フィギュアスケートのリンクに。レッスンが終わったら学校へ送ります。その後、時間があればエクササイズで体を動かし、帰宅して軽い昼食。娘を迎えに行っておやつをとらせ、宿題などをみる。そして夕方にはバレエ教室へ。彼女がレッスンを受けている間に、私はスーパーで食材の買い出し。帰宅後は夕食をとり、再び宿題をさせます》と語り、一日が娘を中心に回っているとうかがわせた(『婦人公論』2015年2月10日号)。
子供にかかりっきりになりながらも、見た目が変わらなければまた仕事の需要はあると思い、「若返ることはできないが、現状維持ならできる」との信念のもと容姿のキープは怠らなかった。
《私は自分のやりたいことをさんざんやりきったので、今は子どもの番だと完全に思えるんですが、育児は子どもの自立を促す作業ですから、少なくとも未成年のうちは子ども優先と考えて行動した方が、私は後悔しないように思います》とは、娘が17歳になっていた頃の発言である(『STORY』2020年3月号)。
「皆さんの期待に応えたい」
その娘も昨年、20歳になった。そろそろ子離れしようかという時期だが、50代半ばになった彼女はこれからどんな道を歩むのか。昨年の「文春オンライン」のインタビューでは最後に《ドラマにも出たいし、歌もボイトレで練習して大人になった今こそやってみたい。やっぱり皆さんの期待に応えたいなと常日頃思っています》と話していた。活動の基準をファンが何を望んでいるかに置いていることは、いまも変わらない。