1ページ目から読む
3/4ページ目

20歳で初めてヌード撮影も経験

 もともと水着が好きだったので、撮られるのが服を着ていようが水着であろうが気にはならなかった。貝殻ビキニの前、20歳で初めてヌード撮影も経験するが、そのときも、水着の面積がどんどん小さくなってここまで来たというだけで、恥ずかしさや抵抗感はなかったという。

 いつしかグラビアクイーン、写真集クイーンと呼ばれるようになっていた。まだ写真集にふんだんにカネをかけられた時代だった。1冊の写真集に3000万円の制作費を使って、世界各地を豪遊ロケしたこともある。カサブランカでの撮影では、モロッコ王室の厚意により、王室専用のリムジン3台がロケバス代わりだったとか。

©時事通信社

 当時から、写真を見てくれる人の夢を壊さないような生活をするよう心がけていた。街を歩いていて、誰かに「あ、武田久美子だ」と気づかれて握手を求められたとして、その人とはおそらくその後二度と会わないだろう。それなのにそのときすっぴんだったり寝起きみたいな姿だったら、「たまたまきょうはこんな格好だったのよ」なんて言い訳は通じない。だから、いつどこで誰に見られてもいいように、メイクもファッションにも力を抜かなかった。

ADVERTISEMENT

「ボンテージとかも要求されたことがありますけど…」

 家にいるときも、美貌をキープするため「老けない、太らない、たるまない」を信条に、撮影の1週間前から脂っぽいものを口にせず、酒も飲まないと決めていた。

 他人に見られることを常に意識するプロ意識の高さに驚かされるが、それはただ、ファンに喜んでもらいたいという一心からだった。ゆえに写真集の撮影でも、カメラマンが芸術に走りそうになると「それは嫌です」とはっきり伝えた。《ボンテージファッションとかも要求されたことがありますけど、私のファンはそういうことは望んでないと思いましたので断わりました》という(『週刊ポスト』2001年11月2日号)。

 20代の終わり、英語を学ぶためカリフォルニアで3ヵ月間ホームステイをしたときには、ブランド物は一切つけず、1週間これだけで生活するというバジェット(予算)を立てた。着るものといえば7ドルで買ったスリップドレスぐらい。それでも、着飾るものがない分、姿勢をよくして、ヘアメイクにちょっと手をかけ、7ドルのドレスをかっこよく着こなしてみせるよう心がけた。すると、街を歩くたび「ナイスドレス!」と100人以上から声をかけられたという。それからというものブランドへのこだわりがなくなる。

アメリカ人男性と結婚して移住

 1999年、アメリカ人男性との結婚を機にカリフォルニア州サンディエゴに移り住んだあと、娘を妊娠中も見た目には気を遣った。産婦人科の待合室にいる妊婦たちがよれよれの格好をしているなかにあって、自分だけはメイクもファッションもばっちり決めた。もっとも、それはファンのためというのではなく、出産の際、自分の担当のドクターに立ち会ってもらいたかったからだった。