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「スピード感、観客の熱狂、あっという間に決まる勝負の潔さ。気が短い私は、ヒリヒリするような刺激に夢中になりました」

 昼は国立大学病院の非常勤職員として働き、夜は飲食店でバイト。毎日の生活はストレスに満ちていた。つかの間の楽しみである彼とのデートと言えば、いつも競艇になった。2人一緒に、レース場で人混みに包み込まれている間だけ、心は安らぎ、日々の面倒はすべて忘れられた。

 賭け金は当初の1レース1万円程度から、どんどんエスカレートしていった。やがて購入額はレースあたり10万円単位になり、1日で200万円以上も負けるほどになった。もう、給料だけではまかないきれない。2人そろって消費者金融に手を出すようになった。

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「彼も私もそれなりの収入はあったのに、ほとんどが返済に消えるようになっていきました」

 どうして、ここまで一気に突き進んでしまったのか。引き金を引いたのは彼との出会いだったかもしれない。だが、思い起こせば、彼女が過ごした幼年期には、いつもギャンブルの影がつきまとっていた。

特異な環境で育った幼児期

 彼女が3歳のとき、父親が会社の金を横領したことがきっかけとなり、両親が離婚した。

 父親を犯罪行為にまで走らせた原因は競輪だった。

 幼かった彼女は母方の実家に生活の場を移したものの、そちらにはパチンコ好きの祖父がいた。都内で雑貨屋を営みながらも、365日、朝から晩までパチンコ台に向き合っているような放蕩者だった。しかも、彼女の母親が仕事を手伝うようになってからは、まったく働かなくなった。そんな祖父に連れられ、彼女自身も幼稚園の頃からパチンコ店に出入りするようになった。それがいけないことだとは理解していなかった。小学2年生のときには、手持ちのお年玉が減ってきたので、増やそうと一人でパチンコ店に入り、警察に連れて行かれたこともある。

 とはいっても、祖父のことは心のなかで嫌悪していた。実の娘である彼女の母親に働かせて、自分は遊んでばかりの怠惰な毎日。子どもの目には、あまりにも醜悪に映った。

「私自身、ずっとギャンブルが悪いこととは思っていませんでした。むしろ、大人の楽しみの一つと考えていて、勝負ができない人を『つまんない人間!』と見下すほどでした。

 だからこそ、逆にギャンブルで身を持ち崩す人間のことはバカだと思っていたんです」

 勝負にかける人は魅力的。

 働かずに遊んでばかりいる人は軽蔑の対象。

 いくらギャンブルが楽しくても、それにのみ込まれてしまうのはバカ。

 どれも間違ってはいない。ギャンブルに走らなくても、退屈さを嫌い、日々の生活でいつも刺激を探している人はいる。自分の仕事で、ギャンブルさながら、ギリギリの勝負に明け暮れている人だって少なくない。たとえ平穏な毎日を送っている人でも、受験や就活、スポーツ、恋愛などで、のるかそるかの勝負を迫られる場面は、誰にだって訪れる。そんな瞬間は、人をキラキラと輝かせたりもする。刺激がなければ、生きている意味はない。