常に危険と隣り合わせ、秘宝をめぐって冒険活劇を繰り広げる「インディ・ジョーンズ」のような考古学者は、フィクションの中にしか存在しないのだろうか。いいや、考古学の調査は「けっこう命がけ」なのである。

 ここでは、3人の考古学者が海外で発掘調査をしていて体験したエピソードを振り返った『考古学者が発掘調査をしていたら、怖い目にあった話』(ポプラ社)より一部を抜粋。著者の1人、大城道則さんの「サハラ砂漠の砂に埋もれてしまいそうになった経験」とは――。(全3回の1回目/#2を読む

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古代人の声に誘われて

「サハラ」とはアラビア語で「砂漠」を意味する言葉だ。だから「サハラ砂漠」とは、「砂漠砂漠」という意味になるのだ、といううんちくをたまにテレビ番組で耳にする。どうでも良い話だ。そんなつまらないうんちくを垂れる輩には、「お前なんかサハラ砂漠の砂に埋もれてしまえ」と言ってやりたい。そういう私に対して、「何てきつい奴だ」とか「パワハラだ」とかいう言葉が聞こえてきそうだが、そんな言葉はシャットダウンだ。なぜなら私は本当にサハラ砂漠の砂に埋もれてしまいそうになった経験があるからだ。

 今が2023年ということは、もうあれから10年以上経過したことになるだろうか。私は生まれて初めてサハラ砂漠に立った。ただそれは北アフリカに拡がる広大な大サハラ砂漠の最東端に過ぎなかったが……。当時、エジプト西方砂漠に存在する岩絵が妙に気に掛かっていた。

 ピラミッドよりも王家の谷よりも断然興味を引かれたのだ。巨大過ぎるせいもあるであろうが、ピラミッドからは人間が見えてこないと感じていた。人間が造ったはずなのにである。王家の谷も同様だ。あそこは今や観光客のための場所だ。彼らの歓声しか聞こえない。

 しかし、岩絵からはビンビンと古代人の声が聞こえて来たのだ。私の感性に訴えてきたのだ。それゆえ、まず自分の守備範囲を越えないエジプトの西方を目指した。以前からエジプトの西方砂漠地域のカルガ・オアシスとダクラ・オアシスには岩絵が残されていることを知っていたからだ。前者はその場所を訪れて、この目で確認することができたが、後者は結局発見することができなかった。

 地元の博物館でその場所の名前を出して尋ねたら、もう今は残っていないということであった。落胆した。文化財は、人類の記録と記憶は、消え去る運命にある。だからこそ昨今デジタルアーカイヴの重要性が叫ばれているのだ。