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「必ず車2台で行くこと」と言われていたのに…考古学者がサハラ砂漠の真ん中で“砂地獄”にハマり、遭難しかけた話

「必ず車2台で行くこと」と言われていたのに…考古学者がサハラ砂漠の真ん中で“砂地獄”にハマり、遭難しかけた話

『考古学者が発掘調査をしていたら、怖い目にあった話』より #1

genre : ライフ, 社会

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土漠の果てにある小さな神殿へ

 仕方がないと気持ちを切り替えて、もう一つの目的地を目指した。それは土漠の果てにある小さなオアシスに建てられた小さな神殿であった。論文でしかその存在を知らなかったのだが、なぜだか行きたくなってしまったのだ。古代エジプトの神アムンに捧げられた神殿であった。

 最寄りの舗装された道路(最寄りの駅ではない)から土漠に入り、そして砂漠に入り、道なき道をトヨタランドクルーザーで疾走した。3、4時間は走ったであろうか。途中迷いながらの到着であった。

 小高い丘の上に木が3本だけ立っており、脇にある草むらを手でかき分けるとその中には湧き水の出る小さな泉があった。そのすぐそばに神殿が控えていた。壁には見事なヒツジ頭のアムン神のレリーフが彫られていた。神殿のある丘の上からは、ただただ広いだけのベージュ色の砂と土の景色が望めた。それはそれで貴重な経験だ。

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 滅多に来ることができない場所(いや今後来ることもないであろう場所)であることが確実であるため、ゆっくりと時間を掛けて神殿の周りを散策してみた。同行のN大学のT先生と私の教え子のA君は、さらに丘の上の方に登って行った。私は神殿を優先した(正直疲れていたし……。車が苦手で少々酔っていたし……)。エジプト人ガイドとドライバーの方もぐったりして木陰で座っていた。

 こんな辺境に良くもまあ神殿なんかを建造したものだ。信仰心というもののもの凄さを感じた。でも当時はもっと緑も水もあったのであろう。人もたくさんいたに違いない。今はもう彼らの声は聞こえない。宗教も違う我々日本人と現代エジプト人の5人だけだ。イヌやネコですら周りに見かけない。古代の遺跡を独占するという意味では気分は良かったが……。

砂漠調査の鉄則

 いつもの癖で下を見ながら歩いていると貝の化石を発見した。考古学者の性というか、習慣というか、どこの国のどの遺跡を歩いていても、下を見ながら何か落ちていないかと探してしまう(そしてたいてい何かを見つけてしまう)。

 貝の化石があるということは、この場所が太古には海であったことの証である。化石を幾つか拾うことができた(真面目な考古学者からはお叱りを受けるかもしれないが、私は土器よりも断然化石の方が好きだ!)。しかし、この数時間後に事件が起こるのだ。

 全員が油断していたのであろう。遺跡を堪能して車に乗り、最寄りの道路を目指したまでは良かったのだが、こともあろうにドライバーが道に迷ってしまったのだ。まさかの展開に少し動揺したが、ここはエジプト、まあ何とかなるだろうと高を括っていた。しかし、どこまで走っても同じ景色が続くだけだった。いや、時間が経過するに連れ、低木すら消え失せ、硬い土よりも砂の割合が多くなってきていた。まさにここは砂漠であった。

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