シャブの売り上げは月に200万~300万円
――そうして闇金のイロハを覚えて、“アニキ”が渋谷に開いた闇金で働くことになったわけですね。そこでも、諸橋さんは売人のほうが本業といった感覚だったのでしょうか。
諸橋 ですね。収入は完全にシャブでしたよ。闇金に関しては、アニキを手伝ってるぐらいの感覚でした。ずっとアニキから卸してもらってたけど、ちょっと品質が良くなかったのでシャブの仕入れ先を変えたんですよ。
アニキは渋谷の一家に移籍して闇金を開いたので、おのずと僕も渋谷の一家の人たちと仲良くなったんです。その先輩たちから卸してもらうようになって。そこは自分もユーザーだったので、いいものが欲しくなるんですね。
――そのうちに渋谷の親分のカバン持ちもするようになるんですよね。
諸橋 カバン持ちは、26歳から28歳までやってました。20代で総長のカバン持ちに抜擢されることって、若いヤクザからすれば名誉なことなんですよ。だから、アニキも喜んでましたね。
――カバン持ちをしていても売人を。
諸橋 親分に一日付き合って、もらえるのは1万円。ヤクザの生活はできないですよ。月曜から土曜までお付きして、日曜は休みなので、稼げるのは月に20万円とちょっとでしょ。シャブの売り上げは月に200万~300万円はありましたもん。20万円なんて、むしろいらなかったですよ。だから親分のほうもお付き以外に自分でシノギをやれというスタンスでしたしね。
でも、やっぱり親分のお付きというのは、常に親分といるわけなので組織のなかですごくいい立場なのは間違いないです。その立場はシャブの密売にも影響してくるんです。
「シャブなら諸橋に」みたいに顔が売れていく
――どういった影響があったのでしょうか。
諸橋 お付きとして、親分連中との会合とかに行くじゃないですか。親分連中が飯を食ってるあいだ、僕らお付きは外で待ってたり、違うテーブルに集まってるんです。で、「シノギ、どうやってるの?」「僕はシャブ」「おぉ、今度頼むよ」って話になって、「シャブなら諸橋に」みたいに顔が売れていくんですよね。
簡単にいうと、人脈づくり。バックに親分がいるから、軽んじられないんです。自分はそれをメチャクチャ利用してシャブを売ってました。
――当時の一日のスケジュールは。
諸橋 ザッというと、16時に親分を迎えに行きます。で、0時に親分を送り届けて、その日のカバン持ちの仕事は終わり。そこから売人活動が始まるんですけど、客はほとんどクラブに関係している人か、ラブホテルにいる人で、原付に乗って足代1万円ぐらいでデリバリーしてましたけど、僕が密売用に借りていたマンションに買いに来る人もいっぱいいました。
0時から5時までがゴールデンタイムで、次の日のお昼ぐらいからもお客はマンションに来ていました。さすがに午前中は僕も眠いんで、お客からの電話が来ても出なかったです。