極妻から弁護士になった大平先生をテレビで見て、弁護士が目標に
――東京の病院と比べて、いかがでしたか。
諸橋 劣悪でした。最初に入れられた部屋は窓がなかったし、トイレもおまるで。1週間で普通の閉鎖病棟に移って、入院1ヶ月目にシャブボケはほぼ消えて。半年間入院してたけど、その間にアニキから破門されました。
ヤクザで成功する夢があったからショックでしたけど、医者から「クスリに頼らないで、趣味を持て」と言われてもいたので、入院しながら宅建の資格の勉強を始めました。母親が宅建の資格を持ってたし、ヤクザをやめたから持っておいたほうがいいだろうと。でも、ブランクがありすぎて脳を勉強モードにできなかったです。
で、病院でテレビを見てたら、極妻から弁護士になった大平光代先生が紹介されていたんです。大平先生も宅建の資格を取ることから始めて、弁護士を目指したとのことで「なんたる偶然か」と。
弁護士になるって目標を抱いて2005年の10月に退院したら、渋谷の交差点の事件で渋谷警察に逮捕されました。
――判決は。
2008年12月に宅建試験に合格
諸橋 覚醒剤取締法違反の使用で、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年です。
判決前に渋谷署の留置場に入ってたんですけど、母が宅建のテキストと大平先生の著書「だから、あなたも生き抜いて」を差し入れしてくれて。留置場に机なんてないから寝そべって宅建の勉強をしながら、大平先生の本を何度も読んでました。
保釈されてからは実家で勉強しましたけど、20代まるごとヤクザをやってたから勉強ができなくて。30分まで集中力が続くようになって、一日に勉強30分を4セットやってましたね。
で、2008年12月に宅建試験に合格しました。
――宅建合格で弾みがついて、そのまま司法試験へ?
諸橋 いや、「さすがに弁護士は無理だろ」と思って、いわき市の不動産屋に就職しました。執行猶予が過ぎるまで宅建の登録ができなかったので、宅建合格については内緒にして。アパート経営を地主さんたちにピンポン営業する仕事がメインだったんですけど、騙して契約するところがあってイヤになっちゃって。
そのときに父方の祖母が亡くなって、数百万円の遺産が入ったんです。それで「2年間ぐらい働かずに、司法書士試験の勉強ができるんじゃないか」と思って、不動産屋を辞めました。
――司法書士試験の難しさは、宅建の比じゃないですよね。