今年は明治元年から百五十年目。さまざまな記念イベントが予定されている。明治はいかに幕を開け、それからの百五十年はどのように過ぎたのか。今回はそれを考えるための三冊を選んでみた。
会津出身者・柴五郎の遺稿を石光真人が編んだ『ある明治人の記録』(中公新書)は一九七一年に刊行されて話題を呼んだ作品。内容の驚きは昨年末刊の改版でも色褪せない。朝敵の汚名を着せられた会津藩士たちは下北半島の辺地に移封され、餓死との戦いを強いられた。廃藩置県後、軍人となった柴は陸軍大将にまで上り詰めたが、辛酸を極めた少年時代の手記を晩年にしたためたのは、明治という時代が出自で人を差別する階級社会として始まったことをなんとしても書き残したかったのだろう。
四民平等は建前に過ぎなかった。しかも福沢諭吉が「車夫、馬丁、人足、小商人のごとき下等社会の者は別にして、いやしくも話のできる人間らしい人に対して無礼な言葉を用いたことはない」と述べていたのは象徴的で差別の自覚が欠けている。と、書くと既視感を感じないか。統計を分析し、現代日本の社会構成が収入や生活の仕方によって上下に厳しく分け隔てられていることを実証した『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)で橋本健二は「(日本は)もはや『格差社会』などという生ぬるい言葉で形容すべきものではない。それは明らかに、『階級社会』なのである」と書く。
たとえば司馬(遼太郎)史観は志の高い「明治」と第二次大戦の破滅に向かう悪しき「昭和」を対照させるが、百五十年間は最初と最後がどうやらつながっている。『近代日本一五〇年』(岩波新書)で山本義隆も国家主導の科学技術振興策によって総動員体制が敷かれ続けた点で維新後から現代までは一貫しているという。ただ「常在戦場」の総動員体制が実力ある者を必要としたからこそ柴五郎は出世できたし、戦後の高度成長期に一億総中流の夢が見られたのも事実。それが夢も希望もない平成の階級社会に至った原因は、山本が指摘するもうひとつの問題、つまり科学技術の習得に追われて欧米近代の民主主義や人権思想の重要性に理解が及ばなかったことにあり、それもまた最近の教育政策の人文学軽視にまでつながっているのではないか。
個々人の尊厳を認め、権利を尊重し合う共生社会を国が実現できないのならば、自前で知識や教養を補い、自助努力で臨むしかない。明治百五十年とは、新書の出版を含めた文化産業の必要性を逆説的に示す年月だったとも言えそうだ。