ここ最近「死のロード」という言葉はあまり聞かれなくなったが、屈強なプロ野球選手といえども長期遠征は堪えるもの。

 あまり知られていないと思うが、この夏、ホークスの3軍は超過酷ロードを戦った。7月下旬から9月上旬にかけて、じつに30試合も連続で遠征試合を行ったのだった。

 その約1か月半ずっと福岡を離れっぱなしというわけではなかったものの「自宅にいたのは合計で1週間もありませんでしたよ」と3軍の首脳陣やスタッフは同じ言葉を並べた。

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プロ球団が大学チームと試合を組む理由

 その行程も、3軍だからスゴイ。

 7月21日にバスでファーム拠点の福岡県筑後市を出発して香川県高松市へ。3試合(レクザムスタジアムで2試合、さぬき市志度球場で1試合)を戦い移動日なしで高知へ行ってまた3試合。今度は1日空いて徳島・むつみスタジアムで3試合し、移動日なしで愛媛・宇和島市丸山公園野球場でまた3試合を行った。四国遠征最終日の8月3日はナイターで、試合終了後は“深夜バス”状態で帰福。翌日早朝に筑後の球団寮に到着した。

 今度は7日、飛行機で北海道へ。「第6回タンチョウリーグ」に参戦し、釧路のウインドヒルひがし北海道スタジアムで大学や社会人チームと5連戦。帯広での試合を1日挟んで、また釧路で3試合を戦い、18日の午前9時開始の試合後に福岡へ戻った。

 21日はバスで大分市へ移動し、22日に別大興産スタジアムでデーゲーム。試合後にはまたバスで戻った。

 そして24日はまた飛行機に乗って次は東京へ。首都圏の大学と4試合、埼玉西武ライオンズのファームと1試合。それからそのまま熊本へ。9月1日からリブワーク藤崎台球場で3試合して、最終日はバスで福岡に戻り、30試合・14球場に及んだ長期遠征をようやく終えたのだった。

応援団も駆け付けた中でプレーする3軍 ©田尻耕太郎

 最後の遠征地だった熊本へ、3日間取材に行ってきた。

 これだけの日々を戦い抜いた若鷹たちの成長をこの目で確かめたかったのも理由の1つだし、これだけ遠征が続いたことで懸念したこともあった。その確認をしたかったのだ。

 もともと「今年のホークス3軍は異常に強い」と評判だった。4月14日から5月10日にかけて10連勝(引き分けを挟む)をマークしたかと思えば、5月28日から7月2日までは16連勝(同)を記録した。

 ただ、夏の遠征。終盤に行われた首都圏の大学勢との試合はいずれも苦戦した。國學院大學には4-4となんとか引き分けたものの、中央大学に2-3、青山学院大学に1-5、明治大学に2-3と3連敗を喫した。

 プロが大学生に……。

 しかし、これはあまり珍しいケースではない。プロ球団が大学チームと試合を組む場合は、若手選手の育成のほかにドラフト候補の“品定め”という意味合いもある。特に投手の場合ならば“プロのユニフォーム”を相手にどれだけ投げられるか直接視察できるし、対戦した自軍選手の生の声を聞くこともできる。

 だから今回も、今年のドラフトの目玉たちと対戦してきたようだ。

 國學院大學の左腕・武内夏暉投手(八幡南)には152キロの直球を武器に3回で7三振を奪われて無得点に抑えられた。青山学院大学戦の常廣羽也斗(大分舞鶴)も先発で投げてきて、この日はあわやノーヒットノーラン継投を食らうところだったという。