ああ、「産経新聞をはじめとする新聞、テレビ」という言い方が天敵・朝日の「朝日新聞を含むメディアは」に被ってしまっている。産経新聞としては失態ではないか。一方で「及び腰であったことは事実」という表現はリアルだ。その理由を丁寧に振り返ることで検証記事ができるのでは?
読売新聞はどこか他人事
読売新聞は、
《当時は、芸能界のスキャンダルであり、少年の性被害という取り扱いの難しい問題だったことも影響したのだろう。》(8月31日)
どこか「マスメディアの沈黙」について他人事だった。その代わりに今後は「『芸能界だから』は通用しない」と強く説教していた。ナベツネ(渡辺恒雄)の顔を思い出しながら読むと、この強気は納得である。
そうして約1週間後にジャニーズ事務所の会見がおこなわれた。あれを見て朝日新聞は本格的にヤバいと思ったのか、
《これまでの経緯の検証をしないままジャニーズに関わり続けることは、朝日新聞を含め、もはや許されない。》
と書いた(9月9日、社説)。全ての企業にも問いかけていた。
《自社が取引先の人権侵害にどう加担したのか検証し、是正を強く求め、履行状況を確認することは、今やあらゆる企業に課せられた社会的責務だ。》
コラムから感じた「責任転嫁」
メディアも慌て始めた様子が伝わってくるが、一方で注目したのは個人コラム。毎日新聞の専門編集委員・伊藤智永氏は「マスメディアの沈黙」について、
《メディア(媒体)には影響力も責任もあるが、受け手に黙殺されれば、それも成り立たない。見聞きしたくないことに目と耳と口を塞いできたファンと社会は、純粋中立な第三者と言えるだろうか。》
《服従と追従が自らの意思による支持だと思い込む人々が現れると、「帝国」は出来上がる。つまり、ファンと社会の沈黙が欠かせない。それ抜きにはメディアの沈黙も生じない。》(9月9日)