1972年、乗っていたチャーター機がアンデス山脈に墜落したラグビーチームの学生たち。捜索隊の救助は打ち切り、さらに残されたものたちを率いていたリーダーが死亡するなどの逆境下で、どうやって生き残ったのか?
作家の鈴木博毅氏が古今東西の名著をもとに「正しいリーダーのあり方」を紐解いた、新刊『30の名著とたどる リーダー論の3000年史』(日経BP)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)
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過度の堅実主義は人を殺しかねない
事故直後のリーダーシップは、ラグビーチームのキャプテンであるマルセロ・ペレスが取りました。ペレスは機内を住む場所に整備し、負傷者を暖かい場所に集め、みんなを懸命に励ましたのです。彼の英雄的な行動は学生たちをパニックから救います。
「夜が明ければ、きっと捜索隊が発見してくれる――悲惨な夜をやり過ごす間中、マルセロ・ペレスはそう言いつづけていた。それで、いまでは全員が確信めいたものを抱いているのだ――じきに国へ帰れる、最大の試練は過ぎた、と」(『アンデスの奇蹟』海津正彦訳、山と溪谷社より)
しかし、ペレスの予想は裏切られます。遭難から11日目の朝、無線通信機からラジオ放送を聞いていた彼らは、チリ当局が捜索活動を終了するというニュースを聞きます。冬のアンデスは悪天候が続き、10日を過ぎて生存者の存在は絶望視されたのです。
キャプテンのペレスは、救助隊が来るという自分の信念が裏切られ、精神のバランスを失っていきます。一方で、自力で脱出をしなければと考えていたココやナンドは、自分の気持ちを切り替えて、状況を打破するための模索を始めます。
『アンデスの奇蹟』でナンドは、次のようにペレスの姿を描写しています。
「試合場規則(グラウンド・ルール)が変わったとき、マルセロ・ペレスは、ガラスのように壊れてしまった。暗い影の中ですすり泣いているマルセロを見守りながら、私は、はたと思い当たった――こういった恐ろしい場所では、過度の堅実主義は人を殺しかねない」
「私は自分に誓った――この山々に対して、知ったかぶりはやめる、自分の体験という罠にはまらない、次の展開を下手に予想しない。(中略)一瞬一瞬、一歩一歩を、絶えざる不安の内に生きていこう。もう失うものは何もない、何も私を驚かせることはできない」(ともに同書より)
ラグビーという決められたルールの上で行うゲームでは、その「堅実」な人柄がペレスを優秀なキャプテン(リーダー)にしていました。しかし雪山にはルールを超えた予測できない過酷さがありました。ペレスは異なる現実に直面したとき、新たな現実が求めるリーダーとして豹変すべきだったのです。